清原 元輔~百人一首でアルケーを知りたい(924)

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは 42
感想 末の松山は宮城県の景勝地。大津波でも波が来ない場所で、この時代から「波こさじ」と言われていた。この和歌では、互いに涙で濡れた袖をしぼりながら「波こさじ」と同じくらい信頼度高く約束したのに(心変わりした)と歌っている。最初、悲しい歌かと思った。でも、そうでもなさそう。大げさすぎる表現から見ても、これは悲しい歌ではなく、オレらの約束はあてにならんわ、と笑ってる歌の気がする。

清原 元輔 きよはら の もとすけ 
908(延喜8)年 - 990(永祚2)年6月 82歳。
 平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。
 清原深養父の孫。清少納言の父親。
 主君:村上天皇→冷泉天皇→円融天皇→花山天皇→一条天皇

951(43) 河内権少掾。源順大中臣能宣らと勅撰和歌集プロジェクトに参加。
961(53) 少監物。
969(61) 河内権守。
986(76) 肥後守。現地で死去。82歳。熊本市の清原神社で祭神となる。

山桜に向かってモノ言う歌。
誰がために明日はのこさむ山桜 こぼれてにほへ今日のかたみに

【キーワードと感想】
末の松山 すえのまつやま。宮城県多賀城市八幡にある景勝地。869年の貞観地震で大津波が発生。しかし、末の松山が津波をかぶることはなかった。

【ネットワーク】
清原 深養父 きよはら の ふかやぶ ? - ? 平安時代中期の歌人・貴族。中古三十六歌仙の一人。百人一首36:夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ

源 順 みなもと の したごう 911(延喜11)年 - 983(永観元)年 貴族・歌人・学者。三十六歌仙の一人。勅撰和歌集プロジェクトの仲間。水のおもに照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のも中なりける

大中臣 能宣 おおなかとみ の よしのぶ 921(延喜21)年 - 991(正暦2)年8月 平安時代中期の貴族・歌人。神祇大副・大中臣頼基の子。三十六歌仙の一人。勅撰和歌集プロジェクトの仲間。百人一首49:みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%8E%9F%E5%85%83%E8%BC%94
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/motosuke.html

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