藤原 伊尹~百人一首でアルケーを知りたい(927)

あはれとも 言ふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな 45
感想 「あはれ」と言ってくれそうな人もいない自分、寂しく孤独死か、という現代的な感覚の和歌。この歌の作者の伊尹(これただ)は、後撰和歌集の編纂チーフを務めた人物。たくさんの和歌に触れるので、面白い表現を追求するには絶好の環境だったことだろう。

藤原 伊尹 / 謙徳公 ふじわら の これただ 
924延長2年 - 972天禄3年12月9日
 平安時代中期の公卿・歌人。藤原師輔の長男。
 書家・藤原行成は孫。
 主君朱雀天皇→村上天皇→冷泉天皇→円融天皇

942(18) 侍従。
948(24) 五位蔵人。
951(27) 撰和歌所の別当。村上天皇の命で『後撰和歌集』の編纂を統括。メンバーは大中臣能宣源順清原元輔ら。
955(31) 蔵人頭。
960(36) 参議。
967(43) 権大納言。
970(46) 右大臣。摂政。

使い古されていない新しい言葉を求めて
かなしきもあはれもたぐひ多かるを 人にふるさぬ言の葉もがな

外出すると早く帰宅したくなる気持ちを歌った
別れては昨日今日こそへだてつれ 千世しも経たる心ちのみする

【キーワードと感想】
後撰和歌集 ごせんわかしゅう。村上天皇の下命によって編纂された勅撰和歌集。951年~958年。

【ネットワーク】
藤原 師輔 ふじわら の もろすけ 909延喜8年1月11日 - 960天徳4年5月31日 平安時代前期~中期の公卿・歌人。藤原忠平の次男。有職故実・学問に優れた人物。紀貫之に和歌を作ってもらった。

村上天皇 むらかみてんのう 926延長4年7月14日 - 967康保4年7月5日 第62代天皇。在位:946天慶9年5月23日 - 967康保4年7月5日 醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経女中宮穏子。村上源氏の祖。

大中臣 能宣 おおなかとみ の よしのぶ 921(延喜21)年 - 991(正暦2)年8月 平安時代中期の貴族・歌人。神祇大副・大中臣頼基の子。三十六歌仙の一人。勅撰和歌集プロジェクトの仲間。百人一首49:みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ

源 順 みなもと の したごう 911(延喜11)年 - 983(永観元)年 貴族・歌人・学者。三十六歌仙の一人。勅撰和歌集プロジェクトの仲間。水のおもに照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のも中なりける

清原 元輔 きよはら の もとすけ 908(延喜8)年 - 990(永祚2)年6月 貴族・歌人。三十六歌仙の一人。勅撰和歌集プロジェクトの仲間。百人一首42:契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは

藤原 行成 ふじわら の ゆきなり/こうぜい 972天禄3年 - 1028万寿4年1月3日 平安時代中期の公卿・能書家。道風・藤原佐理と三跡のひとり。

【似顔絵サロン】



























































































〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BC%8A%E5%B0%B9
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/koremasa.html#SD

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