藤原 義孝~百人一首でアルケーを知りたい(932)

君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな 50
感想 これは古文の意味の取り方の難しさを感じる和歌。解説を見て納得。解説がありがたい、試験を受ける必要もなく、楽しめるだけなのもありがたい。

藤原 義孝 ふじわら の よしたか 
954天暦8年 - 974天延2年10月4日 20歳。
 平安時代中期の公家・歌人。藤原伊尹の三男。
 清原元輔源順・源延光と交流。

 971(17) 右少将
 972(18) 息子の行成が誕生、父親の伊尹が死去。
 974(20) 疱瘡のため死去。

一条摂政、身まかりにける頃よめる
夕まぐれ木しげき庭をながめつつ木の葉とともにおつる涙か

【キーワードと感想】
右少将 うしょうしょう。右近衛府の次官。右近衛府は宮中の警備や行幸時の安全確保を担当する朝廷の常備軍。

【ネットワーク】
藤原 伊尹 ふじわら の これただ 謙徳公 924延長2年7月15日 - 972天禄3年12月9日 平安時代中期の公卿・歌人。義孝の父親。百人一首45:あはれとも 言ふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

藤原 行成 ふじわら の ゆきなり/こうぜい 972天禄3年 - 1028万寿4年1月3日 平安時代中期の公卿・能書家。義孝の息子。道風・藤原佐理と三跡のひとり。

清原 元輔 きよはら の もとすけ 908(延喜8)年 - 990(永祚2)年6月 平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。百人一首42:契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは

源 順 みなもと の したごう 911(延喜11)年 - 983(永観元)年 平安時代中期の貴族・歌人・学者。三十六歌仙の一人。水のおもに照る月なみをかぞふれば 今宵ぞ秋のも中なりける

源 延光 みなもと の のぶみつ <似顔絵なし> 927延長5年 - 976天延4年7月16日 平安時代中期の公卿・歌人。代明親王の三男。960(33) 天徳内裏歌合で左方の講師(こうじ:歌を読み上げる役)、壬生忠見の歌を読み上げた。

【似顔絵サロン】
























































〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%BE%A9%E5%AD%9D
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yositaka.html

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