徳大寺 実定~百人一首でアルケーを知りたい(950)
▼ほととぎす 鳴きつるかたを ながむれば ただ有明の 月ぞのこれる 81
感想 音がする方を見ると、姿はなく、ただ月が出ている・・・。ドラマチックで、状況が絵になるカッコいい歌。藤原俊成とは友達同士のやりとりを和歌でしていて、ほっこりする(下の本文で紹介)。和歌の手練れだっただけに、先輩の俊恵に、実定は年を取ってから和歌の精進を怠ったと批判される。これも面白い。
1139保延5年 - 1192建久2年2月1日 53歳。
平安時代後期~鎌倉時代初期の公卿・歌人。徳大寺公能の長男。
詩歌管絃に優れ、教養豊かな文化人。藤原俊成と和歌友達。
1144(5) 元服。
1156(17) 左近衛権中将、公卿。
1160(21) 中納言。
1164(25) 権大納言。
平家との政治的競合に敗れ散位に留まる。和歌活動に熱意。
1177(38) 左近衛大将。
1183(44) 内大臣。
1185(46) 源頼朝の推挙で議奏公卿に指名。
1186(47) 右大臣、1189(50) 左大臣。九条兼実の片腕。
1191(52) 出家。
秋の歌三首。
夕かけてならの葉そよぎふく風の まだき秋めくかむなびの森
ゆく秋のたむけに紅葉ちりまがひ かむなび山をともにこえつる
秋きぬとおどろかれけり窓ちかく いささ群竹かぜそよぐ夜は
雪の朝、藤原俊成が後徳大寺左大臣につかはした和歌:
けふはもし君もや問ふとながむれど まだ跡もなき庭の雪かな
今日はもしかしたらキミが来るかと思って庭を見たけど雪に足跡がないなあ。
返し:今ぞきく心は跡もなかりけり 雪かきわけて思ひやれども
それを聞いて今初めて心では雪に跡を残せない、と知ったよ。思いでは雪をかき分けて行ったんだぜ。
【キーワードと感想】
散位 さんい。業務がなく位階だけの人。
議奏 ぎそう。太政官が政務を審議し結論を天皇に上奏すること。
【ネットワーク】
俊恵 しゅんえ 1113永久元年 - 1191建久2年 平安時代末期の僧・歌人。父は源俊頼。百人一首85:夜もすがら もの思ふころは 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり 徳大寺実定が晩年に和歌作りの精進を怠ったと批判。
藤原 俊成 ふじわら の としなり 1114永久2年 - 1204元久元年12月22日 平安時代後期~鎌倉時代初期の公家・歌人。百人一首83:よのなかよ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
源 頼朝 みなもと の よりとも 1147(久安3)年5月16日 - 1199(建久10)年2月16日 武将、政治家。鎌倉幕府初代征夷大将軍(鎌倉殿)。
九条 兼実 くじょう かねざね 1149久安5年 - 1207建永2年5月3日 平安時代末期~鎌倉時代初期の公卿。藤原忠通の六男。有職故実に通暁。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%AE%9F%E5%AE%9A
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sanesada.html
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