藤原 清輔~百人一首でアルケーを知りたい(953)
▼ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき 84
感想 しっくりこないと思う日々でも、時間が経ってしまえば、懐かしく思い出すのかも知れない、というポジティブな考え方の歌。押しつけがましさがないの良い。
1104長治元年 - 1177治承元年7月17日 73歳。
平安時代末期の公家・歌人。藤原顕輔の次男。平安時代の歌学の大成者。
主君:崇徳天皇→近衛天皇→後白河天皇→二条天皇→六条天皇→高倉天皇
1144(40) 父の顕輔が崇徳院の命で『詞花集』を撰集。手伝うも意見は採用されず。
1150(46) 崇徳院主催の『久安百首』に参加。歌学書『奥義抄』を崇徳院に献上。
1153(49) 『人丸勘文』を著す。類題和歌集『和歌一字抄』を編集。
1155(51) 父から歌道師範家六条家を引き継ぐ。
1156(52) 従四位下。
1158(54) 和歌の百科全書『袋草紙』を完成。
1159(55) 『袋草紙』を二条天皇に献上。
1165(61) 私撰集『続詞花和歌集』を完成。九条兼実の師範。
古人の空き家を訪ねて隙間風に風情を感じる歌:
山人の昔の跡をきてみれば むなしき床をはらふ谷風
人麿の墓に卒都婆たて侍るとてかきつけ侍りける
世をへても逢ふべかりける契りこそ 苔の下にも朽ちせざりけれ
【キーワードと感想】
『詞花和歌集』 しかわかしゅう。1150年完成の勅撰和歌集。崇徳院が藤原顕輔に撰進を命じた。
『袋草紙』 ふくろぞうし。清輔が1156~59年に作った歌論書。
『続詞花和歌集』 しょくしかわかしゅう。1165年完成の私撰集。和歌を好む二条天皇が清輔に『続詞花集』の撰進を命じた。完成前に天皇が亡くなり、私撰集として完成させた。
【ネットワーク】
藤原 顕輔 ふじわら の あきすけ 1090寛治4年 - 1155久寿2年6月8日 平安時代後期の公家・歌人。左京大夫顕輔 百人一首79:秋風に たなびく雲の 絶え間より もれいづる月の 影のさやけさ
崇徳天皇 すとくてんのう 1119元永2年7月7日 - 1164長寛2年9月14日 第75代天皇。鳥羽天皇の第一皇子。崇徳院。百人一首77:瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
二条天皇 にじょうてんのう 1143康治2年7月31日 - 1165永万元年9月5日 第78代天皇。在位:1158保元3年9月5日 - 1165永万元年8月3日。後白河天皇の第一皇子。
九条 兼実 くじょう かねざね 1149久安5年 - 1207建永2年5月3日 平安時代末期~鎌倉時代初期の公卿。藤原忠通の六男。有職故実に通暁。
柿本 人麻呂 かきのもと ひとまろ 660(斉明天皇6)年 - 724(神亀元)年3月18日 歌人・歌聖。百人一首3:あしひきの 山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B8%85%E8%BC%94
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kiyosuke.html#VR
コメント
コメントを投稿