西行法師~百人一首でアルケーを知りたい(955)

なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな 86
感想 西行は、伊勢神宮を参拝したとき「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 淚こぼるる」と歌った人物。その感覚にとても共感。その西行が月を歌ったこの歌が百人一首に収められた。歌い手、選び手ともに、いずこの高みにおはしますをば知らぬほど。

西行法師 さいぎょう
1118元永元年 - 1190文治6年3月23日 72歳。
 平安時代末期~鎌倉時代初期の武士・僧侶・歌人。
 藤原俊成慈円と交流。

1133(15) 徳大寺家に出仕。
1135(17) 左兵衛尉。鳥羽院下北面の武士
1140(22) 出家。西行法師と名乗る。
惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ
1141(23) 知人(俊成?)が崇徳院の勅勘を蒙ったので取りなす。
崇徳院が俊成へのお怒りの気持ちを表した歌:最上川 つなでひくとも いな舟の しばしがほどは いかりおろさむ
西行が、まあそう仰らず、なんとか許して差し上げてはどうかという返し:つよくひく 綱手と見せよ もがみ川 その稲舟の いかりをさめて
1149(31) 高野山に入る。
1156(38) 保元の乱。敗北した崇徳院は讃岐に配流。 
1164(46) 崇徳院が讃岐で死去。
1168(50) 崇徳院の墓所・白峯陵を訪ねる。弘法大師の遺跡も巡る。
1180-85(62-67) 源平合戦
1186(68) 東大寺再建の勧進旅行。鎌倉で源頼朝(39)と会い、歌道や武道の話をする。頼朝に弓馬の道を尋ねられ「一切忘れはてた」と答える。
1190(72) 大阪南河内の弘川寺の庵居で死去。
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ

【キーワードと感想】
北面の武士 ほくめんのぶし。11世紀末に白河法皇が創設した直属軍。ミッションは上皇の身辺警衛等。御所の北面(北側の部屋)に詰めた。上北面と下北面があり、前者に文官、後者に武士がいた。

源平合戦 げんぺいがっせん 後白河法皇源頼朝vs安徳天皇・平清盛。時期は1180治承4年~1185元暦2年。治承・寿永の乱。

【ネットワーク】
鳥羽天皇 とばてんのう 1103康和5年2月24日 - 1156保元元年7月20日 日本の第74代天皇。在位:1107嘉承2年8月9日 - 1123保安4年2月25日。堀河天皇の皇子。笛の名人。

藤原 俊成 ふじわら の としなり 1114永久2年 - 1204元久元年12月22日 平安時代後期~鎌倉時代初期の公家・歌人。百人一首83:よのなかよ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

平 清盛 たいら の きよもり 1118永久6年2月17日 - 1181治承5年3月27日 平安時代末期の武将、公卿、棟梁。伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男。

崇徳天皇 すとくてんのう 1119元永2年7月7日 - 1164長寛2年9月14日 第75代天皇。鳥羽天皇の第一皇子。崇徳院。百人一首77:瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ

後白河天皇 ごしらかわてんのう 1127大治2年10月18日 - 1192建久3年4月26日 第77代天皇。在位: 1155久寿2年8月23日 - 1158保元3年9月5日。鳥羽天皇の第四皇子。

弘法大師 こうぼうたいし 774(宝亀5)年 - 835(承和2)年4月22日 平安時代初期の僧。空海。高野山。真言宗の開祖。

源 頼朝 みなもと の よりとも 1147(久安3)年5月16日 - 1199(建久10)年2月16日 武将、政治家。鎌倉幕府初代征夷大将軍(鎌倉殿)。

慈円 じえん 1155久寿2年5月17日 - 1225嘉禄元年10月28日 平安時代末期~鎌倉時代初期の僧。父は藤原忠通。歴史書『愚管抄』著者。前大僧正慈円。百人一首95:おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に すみぞめのそで

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%A1%8C
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/saigyo.html

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