九条 良経~百人一首でアルケーを知りたい(957)

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに ころもかたしき ひとりかも寝む 91
感想 この歌は1200年、良経が31歳の時に詠んだ作品。住宅の性能が桁違いに良くなった現代ではこの風情を味わうのは難しいかも知れない。だからソロキャンプが流行っているのだろうか。この歌を詠んだ6年後に良経は急死する。若すぎる死は悲しい。

九条 良経 / 後京極摂政前太政大臣 くじょう よしつね 
1169仁安4年3月 - 1206元久3年4月16日 37歳。
 平安時代末期~鎌倉時代初期の公卿・歌人。藤原忠通の孫。叔父が慈円
 九条兼実の次男。主君:高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇
 和歌・書道・漢詩に優れた教養人。
 藤原俊成が和歌の師匠。
 後鳥羽院の評価:秀歌のあまり多くて、両三首などは書きのせがたし

1179(10) 元服。従五位上。
1185(16) 従三位。
1190(21) 花月百首を主催。
1193(24) 六百番歌合を主催。
1195(26) 内大臣。
1199(30) 左大臣。
1200(31) 院初度百首で91番の歌を詠む。
1201(32) 後鳥羽天皇が和歌所設置、寄人筆頭。
 『新古今和歌集』の編集メンバー。仮名序を担当。
1203(34) 土御門天皇の摂政。
1204(35) 従一位・太政大臣。

【キーワードと感想】
六百番歌合 ろっぴゃくばんうたあわせ。良経が主催した歌合。歌合の最高峰。1192年、企画・出題。歌題は春15・夏10・秋15・冬10・恋50の百題。1193年、終了。『新古今和歌集』に本歌合の作品34首が入撰。

【ネットワーク】
藤原 忠通 ふじわら の ただみち 1097永長2年3月15日 - 1164長寛2年3月13日 平安時代後期~末期の公卿・歌人。法性寺入道前関白太政大臣。百人一首76:わたの原 漕ぎいでて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波

慈円 じえん 1155久寿2年5月17日 - 1225嘉禄元年10月28日 平安時代末期~鎌倉時代初期の僧。父親は藤原忠通。歴史書『愚管抄』著者。前大僧正慈円。百人一首95:おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に すみぞめのそで

九条 兼実 くじょう かねざね 1149久安5年 - 1207建永2年5月3日 平安時代末期~鎌倉時代初期の公卿。良経の父親。藤原忠通の六男。有職故実に詳しい。

藤原 俊成 ふじわら の としなり 1114永久2年 - 1204元久元年12月22日 平安時代後期~鎌倉時代初期の公家・歌人。藤原俊忠の子。百人一首83:よのなかよ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

後鳥羽天皇 ごとばてんのう 1180治承4年8月6日 - 1239延応元年3月28日 第82代天皇。在位:1183寿永2年9月8日 - 1198建久9年2月18日。後鳥羽院。百人一首99:人も惜し 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は

土御門天皇 つちみかどてんのう 1195建久6年12月4日 - 1231寛喜3年11月6日 第83代天皇。在位:1198建久9年2月18日 - 1210承元4年12月12日。後鳥羽天皇の第一皇子。

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E8%89%AF%E7%B5%8C
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yositune.html

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