飛鳥井 雅経~百人一首でアルケーを知りたい(959)

み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさとさむく 衣うつなり 94
感想 「ふるさとさむく 衣うつなり」を、スポーツマンで歌詠みの雅経が詠んだ歌、という目で見ると心細さより風情を感じるから不思議。

飛鳥井 雅経 / 参議雅経 あすかい まさつね
 1170嘉応2年 - 1221承久3年年4月5日 51歳。
 平安時代末期~鎌倉時代前期の公卿・歌人。
 難波頼経の次男。少年期、蹴鞠の才を祖父頼輔に見出され、特訓を受けた。
 主君:安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇

1180(10) 従五位下。父は一貫して義経側だったため配流。
雅経は頼朝から可愛がられ猶子になる。頼家・実朝と親交。大江廣元の娘と結婚。
1197(27) 後鳥羽院の命により上洛。侍従。院の蹴鞠の師。
1201(51) 和歌所寄人、新古今集撰者の一人。
 後鳥羽院の評:雅経は、殊に案じかへりて歌詠みしものなり。手だりとみえき。
1208(58) 後鳥羽院から蹴鞠長者の称号を授かる。
1218(48) 従三位。1220(50) 参議。
鎌倉幕府の招きで鎌倉へ度々下向。定家と実朝の仲を取り持つ。鴨長明と実朝対面の機会を作る。

雅経が月を詠むとこうなる歌。
たづねきて花に暮らせる木の間より 待つとしもなき山の端の月

【キーワードと感想】
蹴鞠 けまり。平安時代に流行し、鎌倉時代から室町時代前期に芸道として完成され、現代まで続く球技。雅経は、後鳥羽院から蹴鞠長者と呼ばれた。

猶子 ゆうし。実親子ではない二者が親子関係を結んだときの子。

【ネットワーク】
源 義経 みなもと の よしつね 1159(平治元)年 - 1189(文治5)年6月15日 平安時代の武将。牛若丸。鎌倉幕府初代将軍源頼朝の異母弟。

源 頼朝 みなもと の よりとも 1147久安3年5月16日 - 1199建久10年2月16日 平安時代末期から鎌倉時代初期の武将・政治家。鎌倉幕府初代征夷大将軍(鎌倉殿)。

大江 廣元 おおえ の ひろもと 1148久安4年 - 1225嘉禄元年7月16日 平安時代末期~鎌倉時代初期の貴族。源頼朝の側近。鎌倉幕府の初代別当。雅経の岳父。

後鳥羽天皇 ごとばてんのう 1180治承4年8月6日 - 1239延応元年3月28日 第82代天皇。在位:1183寿永2年9月8日 - 1198建久9年2月18日。文武両道。後鳥羽院。百人一首99:人も惜し 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は

源 実朝 みなもと の さねとも 1192(建久3)年9月17日 - 1219(建保7)年2月13日 源頼朝の次男。鎌倉幕府第3代征夷大将軍(鎌倉殿)。百人一首93:世の中は つねにもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも

藤原 定家 ふじわら の ていか 1162(応保2)年 - 1241(仁治2)年9月26日 平安時代末期~鎌倉時代初期の公家・歌人。藤原俊成の二男。権中納言定家。『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を撰進。百人一首97:ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩の 身もこがれつつ

鴨 長明 かも の ちょうめい / かも の ながあきら 1155久寿2年 - 1216建保4年7月26日 平安時代末期~鎌倉時代前期の歌人・随筆家。『方丈記』。思ひきや都を遠く立ち出でて遠山野辺に露消えんとは

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E4%BA%95%E9%9B%85%E7%B5%8C
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/masatune.html#AT

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