慈円~百人一首でアルケーを知りたい(960)

おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に すみぞめのそで 95
感想 この和歌は慈円が二十代の時期、僧としての自分のミッションを歌ったもの、という。わがたつ杣(そま)」は比叡山延暦寺、「すみぞめのそで」は僧衣のこと。源頼朝とウマが合ったという話が印象的。うき世の民のおほひ方について、二人の道は違えど、通じるところがあったのかな。

慈円 / 前大僧正慈円 じえん 
1155久寿2年5月17日 - 1225嘉禄元年10月28日 70歳。
 平安時代末期~鎌倉時代初期の僧。父親は藤原忠通

1165(10) 父・忠通が死去。鳥羽天皇の皇子・覚快法親王に入門。天台宗の青蓮院に入寺。
1167(12) 得度。
1176(21) 比叡山・無動寺で千日入堂。
1178(23) 法性寺座主。
1181(26) 覚快法親王が青蓮院で死去。
1182(27) 青蓮院を継ぐ。
1188(33) 西行勧進の二見浦百首に出詠。
1192(37) 天台座主。源頼朝と意気投合。
1196(41) 座主を辞して籠居。
1201(46) 後鳥羽院主催の千五百番歌合に出詠。
1219(64) 源実朝が死去。
1220(65) 『愚管抄』 執筆。
1221(66) 承久の乱:後鳥羽上皇vs鎌倉幕府執権の北条義時。後鳥羽上皇は隠岐に配流。

自分や世を問うて歌った歌四首:
わが心奥までわれがしるべせよ わが行く道はわれのみぞ知る
思ふことなどとふ人のなかるらむ 仰げば空に月ぞさやけき
なにゆゑにこの世を深く厭ふぞと 人のとへかしやすく答へむ
町くだりよろぼひ行きて世を見れば 物のことわりみな知られけり

【キーワードと感想】
天台宗 てんだいしゅう。中国発祥の大乗仏教の宗派のひとつ。名称は開祖の智顗が天台山に住んでいたことに由来。最澄が日本に伝えた。

愚管抄 ぐかんしょう。著者は慈円。承久の乱の前後に書かれた歴史書。愚管とは私見の謙譲語。北畠親房の『神皇正統記』と双璧を為す日本の歴史書。

【ネットワーク】
藤原 忠通 ふじわら の ただみち 1097永長2年3月15日 - 1164長寛2年3月13日 平安時代後期~末期の公卿・歌人。法性寺入道前関白太政大臣。百人一首76:わたの原 漕ぎいでて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波

西行 さいぎょう 1118元永元年 - 1190文治6年3月23日 平安時代末期~鎌倉時代初期の武士・僧侶・歌人。西行法師。『山家集』。百人一首86:なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな

源 頼朝 みなもと の よりとも 1147(久安3)年5月16日 - 1199(建久10)年2月16日 武将、政治家。鎌倉幕府初代征夷大将軍(鎌倉殿)。

後鳥羽天皇 ごとばてんのう 1180治承4年8月6日 - 1239延応元年3月28日 第82代天皇。在位:1183寿永2年9月8日 - 1198建久9年2月18日。後鳥羽院。百人一首99:人も惜し 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は

源 実朝 みなもと の さねとも 1192(建久3)年9月17日 - 1219(建保7)年2月13日 源頼朝の次男。鎌倉幕府第3代征夷大将軍(鎌倉殿)『金槐和歌集』 百人一首93:世の中は つねにもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E5%86%86
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/jien.html

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