藤原 定家~百人一首でアルケーを知りたい(962)
▼来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 97
感想 全体、まことに軽快な歌と思うのだけども、この感想は間違っているかな。人を待つとまつほの浦を掛けた駄洒落に見える。夕なぎ・夕焼け・焼く藻塩・身が焦がれる、と言葉と連想が続く。百人一首をセレクトした張本人が、自分の歌をこれにした、というのもやっぱり定家はハチャメチャな人だと思うんだけど・・・間違ってるかな。
1162(応保2)年 - 1241(仁治2)年9月26日 79歳。
平安時代末期~鎌倉時代初期の公家・歌人。
藤原俊成の二男。『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を撰進。
1180-1235(18-75) 日記『明月記』。2019年、『明月記』が日本天文遺産指定。
1166(4) 従五位下。
1175(13) 侍従。
1185-86(23-24) 源雅行への暴行で除籍。
1189(27) 左近衛少将。
1201(39) 「千五百番歌合」に参加。『新古今和歌集』の編纂メンバー。
1202(40) 左近衛権中将。
1214(52) 参議。
1220(58) 後鳥羽上皇から勅勘。自宅謹慎。
1221(59) 承久の乱。後鳥羽上皇が配流。
1232(72) 権中納言。後堀河天皇から『新勅撰和歌集』編纂の下命。同年、後堀河天皇が死去。
1233(73) 出家。
1235(75) 『新勅撰和歌集』精撰本を九条道家に提出。
宇都宮頼綱の頼みを受け『小倉百人一首』を撰じる。
定家が空を詠じるとこうなる:
春の夜の夢の浮橋とだえして 峰に別るる横雲の空
定家が秋夕暮れを詠じるとこうなる:
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ
【キーワードと感想】
『明月記』 めいげつき。定家が1180治承4年から1235嘉禎元年まで記録した日記。
『新勅撰和歌集』 しんちょくせんわかしゅう。1232年、後堀河天皇の命で定家が撰出した勅撰和歌集。
『小倉百人一首』 おぐらひゃくにんいっしゅ。百人の和歌を一人につき一首ずつ選んで作られた秀歌撰。定家が京都小倉山にある宇都宮頼綱の山荘で色紙に揮毫した和歌集。後に「歌がるた」として人気になる。
【ネットワーク】
宇都宮 頼綱 うつのみや よりつな 1178治承2年 - 1259正元元年12月26日 平安時代末期~鎌倉時代前期の武士・御家人・歌人。1235(57) 小倉山荘の障子色紙用として、定家に和歌98首を選定してもらう。
後鳥羽天皇 ごとばてんのう 1180治承4年8月6日 - 1239延応元年3月28日 第82代天皇。在位:1183寿永2年9月8日 - 1198建久9年2月18日。後鳥羽院。百人一首99:人も惜し 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は
後堀河天皇 ごほりかわてんのう 1212建暦2年3月22日 - 1234天福2年8月31日 第86代天皇。在位:1221承久3年7月29日 - 1232貞永元年11月17日。高倉天皇の第二皇子の守貞親王(後高倉院)の第三皇子。
九条 道家 くじょう みちいえ 1193建久4年7月28日 - 1252建長4年4月1日 鎌倉時代前期の公卿。九条良経の次男。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E5%AE%B6
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/0teika_t.html
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