藤原 家隆~百人一首でアルケーを知りたい(963)

風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける 98
感想 いまは秋、この歌は夏の歌。夏休みの時期、子供たちが調布を流れる野川に小魚をとりに集まっている風景を思い出した。風そよぐ調布の小川のおやつ時 魚とりぞ夏のしるしなりける。藤原家隆の先祖には百人一首27番歌の歌人・藤原兼輔がいる。兼輔も「みかの原わきて流るる泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ」と川の歌を詠んでいる。

藤原 家隆 ふじわら の いえたか 従二位家隆。
1158保元3年 - 1237嘉禎3年5月5日 79歳。
 鎌倉時代初期の公卿・歌人。和歌の師匠が藤原俊成
 主君:高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇
 後鳥羽院:秀哥ども詠み集めたる多さ、誰にもすぐまさりたり。

1177(19) 侍従。
1186(28) 西行勧進の「二見浦百首」に参加。
1187(29)「殷富門院大輔百首」「閑居百首」に参加。
1192(34) 九条良経主催の「六百番歌合」に参加。
1195(37) 後鳥羽院のメンバー入り。
1201(43) 従四位下。和歌所で寄人。『新古今和歌集』の撰者。
1206-20(48-62)宮内卿。
1221(63) 承久の乱。後鳥羽院は隠岐に配流。
1226(68) 「家隆後鳥羽院撰歌合」で判者。
1235(77) 従二位。
1236(78) 隠岐の後鳥羽院主催「遠島御歌合」に詠進。
1237(79) 出家。摂津国四天王寺で夕陽庵を結び、ちぬの海(大阪湾)に沈む夕日を好んだ。
春日山おどろの道も中たえぬ 身をうぢばしの秋の夕暮

【キーワードと感想】
夕陽庵 せきようあん。家隆が79歳で出家し、摂津国四天王寺近くに結んだ庵の名。ここから「ちぬの海(大阪湾)」に沈む夕日が見えた。現在、大阪市天王寺区夕陽丘。

【ネットワーク】
藤原 俊成 ふじわら の としなり 1114永久2年 - 1204元久元年12月22日 平安時代後期~鎌倉時代初期の公家・歌人。藤原俊忠の子。百人一首83:よのなかよ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

後鳥羽天皇 ごとばてんのう 1180治承4年8月6日 - 1239延応元年3月28日 第82代天皇。在位:1183寿永2年9月8日 - 1198建久9年2月18日。後鳥羽院。百人一首99:人も惜し 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は

西行 さいぎょう 1118元永元年 - 1190文治6年3月23日 平安時代末期~鎌倉時代初期の武士・僧侶・歌人。西行法師。『山家集』。百人一首86:なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな

九条 良経 くじょう よしつね 1169仁安4年3月 - 1206元久3年4月16日 平安時代末期~鎌倉時代初期の公卿・歌人。九条兼実の次男。後京極殿。百人一首91:きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに ころもかたしき ひとりかも寝む

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%B6%E9%9A%86_(%E5%BE%93%E4%BA%8C%E4%BD%8D)
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ietaka_t.html

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