西行と承久の乱~アルケーを知りたい(980)
▼東大寺再建の資金集めのため鎌倉の源頼朝を訪ねたところ、歌道の話で盛り上がった。この話から頼朝の文人の側面が伝わる。
▼頼朝は西行が若いころ武士だったのを知っていたので、武道の話題を振ると、西行は「忘れ果てた」と言って乗らなかった。ここから西行が良い感じの人物であったことが伺える。
▼西行法師 さいぎょう
1118元永元年 - 1190文治6年3月23日 72歳。
平安時代末期~鎌倉時代初期の武士・僧侶・歌人。
1135(17) 鳥羽院の下北面武士。
1140(22) 出家。西行法師と名乗る。
惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ
*この世は何かを惜しめばうまくいく、というものではない。身を捨ててこそ身を助けるというもの。
1141(23) 友達の藤原俊成が崇徳院の勅勘を蒙ったので取りなすために和歌を交換。
崇徳院:最上川 つなでひくとも いな舟の しばしがほどは いかりおろさむ
*最上川では船を綱で引いて動かす。でも私は俊成にプンプン怒っているので、しばらくは錨を下ろして動かさないぞ。
西行の返し:つよくひく 綱手と見せよ もがみ川 その稲舟の いかりをさめて
*そうおっしゃらず錨=怒りを収めて、船を綱で引いて動かしましょうよ、俊成を許してやりましょうよ。
1156(38) 後白河天皇VS崇徳上皇の保元の乱。崇徳上皇が敗け、讃岐に配流。
1164(46) 崇徳院が讃岐で死去。
1168(50) 崇徳院の墓所・白峯陵を訪ねる。
1180-85(62-67) 源平合戦。
1186(68) 東大寺再建の資金を募る旅に出る。鎌倉で源頼朝(39) と会い、歌道や武道の話をする。頼朝に弓馬の道を尋ねられ「一切忘れはてた」と答える。頼朝から銀製の猫をプレゼントされる。
1188(70) 慈円(33)が西行勧進の二見浦百首に出詠。
1190(72) 大阪・弘川寺の庵で自分が詠んだ和歌の通りに死去。
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
▼西行の和歌
つくづくと物を思ふにうちそへて 折あはれなる鐘の音かな
*物思いにふけっているとちょうと鐘の音が聞こえてしみじみする。
暁の嵐にたぐふ鐘のおとを 心の底にこたへてぞ聞く
*夜明けの嵐と一緒になった鐘の音が心の底まで響くのを聞く。
山里にうき世いとはむ友もがな 悔しく過ぎし昔かたらむ
*山里に浮世を捨てた友と悔やく過ごした昔を語ろう。
わきて見む老木は花もあはれなり 今いくたびか春に逢ふべき
*よく見ると老木の花には風情がある。これから何度春を迎えるのだろうか。
うらうらと死なむずるなと思ひとけば 心のやがてさぞとこたふる
*おだやかに死ねると良いなと思うと、心の内がそうだよなと答えが返ってくる。
世の中を思へばなべて散る花の 我が身をさてもいづちかもせむ
*世の中のことは散る花のようなもの。この自分は、さてさて、どうしましょう。
もろともに眺め眺めて秋の月 ひとりにならむことぞ悲しき
*一緒に眺めた秋の月、一人になったらどうすれば良いのか。
風になびく富士の煙の空に消えて ゆくへも知らぬ我が心かな
*富士山の煙が風になびいて空に消えてゆく。その煙と同じように行方知らずの自分の心。
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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%A1%8C
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/saigyo.html#vr1
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