西園寺 公経と承久の乱~アルケーを知りたい(981)

西園寺 公経は、百人一首96番歌「花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり」の作者。本シリーズの961回に登場した人物。
▼「幕府に追従」「保身と我欲に汲々とした奸物」「世の奸臣」と散々に言われている。
▼「琵琶と書に秀で多芸多才」「処世は卓越、荘園と宋との貿易収入で豪華奢侈」との評もある。
▼承久の変は朝廷と幕府の対立だったので、変の後、ぎくしゃくしてもおかしくない。そこを公経が幕府の意向を汲んで朝廷をマネジメントした。これは幕府・朝廷両者にとって意義のある仕事だったと思う。

承久の乱】じょうきゅうのらん。1221承久3年に起きた朝廷・後鳥羽上皇VS鎌倉幕府・北条義時の戦い。結果は、鎌倉幕府の勝ち。後鳥羽上皇は隠岐島配流。武家政権が始まる。

▼西園寺 公経 / 入道前太政大臣 さいおんじ きんつね
1171承安元年 - 1244寛元2年10月2日 73歳。
 平安時代末期~鎌倉時代前期の公卿・歌人。

1179(8) 従五位上。1187(16) 従四位下。1196(25) 蔵人頭。1198(27) 参議。1206(35) 中納言。1218(47) 大納言。
1219(58) 実朝が暗殺。4代目鎌倉殿に1歳の孫・三寅(九条頼経)=娘婿・九条道家の息子=を下向させる。鎌倉では北条政子三寅の後見となり、鎌倉殿を代行。
1221(50) 承久の乱。幕府と親しかったので、後鳥羽上皇から敵認定されて幽閉される。乱の後、関東申次=朝廷と幕府の間で調整する役。内大臣。幕府の意向を受けて朝廷を主導。
1222(51) 太政大臣。1223(52) 従一位。
1242(71) 四条天皇が崩御。道家は順徳上皇の皇子を推す。幕府は承久の変で後鳥羽上皇側だった順徳上皇の皇子に難色を示し、敵対しなかった土御門上皇の皇子・邦仁王を推す。この状況を見て公経は邦仁王を第88代天皇に即位させる。後嵯峨天皇

▼公経の和歌
花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり
*嵐が庭に舞う雪のように花を降り散らしている。が、降り散っているのは私自身なのではないか。

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%AF%BA%E5%85%AC%E7%B5%8C
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kintune.html#VR

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