藤原定家と承久の乱~アルケーを知りたい(985)
▼定家は時々「やらかす」人物。23歳のとき、イベント会場でバカにしてきた源雅行に怒り、棒で殴ったので謹慎処分を食らう。58歳のとき、昇進の不満を和歌に詠んだところ、これを見た後鳥羽上皇が怒り、勅勘を食らう。
▼定家は親幕府側だったので承久の乱以後は昇進して勝ち組生活。
▼直情径行さに親しみが湧く、強情さにはちょっと引く。和歌をセレクトして小倉百人一首を作ってくれたのはグッドジョブ。
▼藤原 定家 / 権中納言定家 ふじわら の さだいえ/ていか
1162(応保2)年 - 1241(仁治2)年9月26日 79歳。
平安時代末期~鎌倉時代初期の公家・歌人。藤原俊成の二男。
1175(13) 侍従。
1185-86(23-24) 源雅行への暴行で除籍。
1189(27) 左近衛少将。
1201(39) 「千五百番歌合」に参加。「新古今和歌集」の編纂メンバー。
1202(40) 左近衛権中将。1214(52) 参議。
1220(58) 昇進の不満を詠んだ定家の和歌を見た後鳥羽上皇が怒り自宅謹慎処分。
1221(59) 承久の乱。後鳥羽上皇が配流。
1222(60) 従二位。1227(65) 正二位。1232(72) 権中納言。
1233(73) 出家。
1235(75) 宇都宮頼綱の頼みを受け『小倉百人一首』を撰じる。
▼定家の和歌と*勝手に解釈
春の夜の夢の浮橋とだえして 峰に別るる横雲の空
*春の夜の夢に出てきた浮橋が途中で途絶えている、空を見ると山の峰で雲が別れている。
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ
*見渡してみると花も紅葉もありゃしない。浦の苫葺き小屋で秋の夕暮れ時だ。
忘るなよ宿るたもとはかはるとも かたみにしぼる夜はの月影
*忘れるんじゃないよ、宿る場所は変わっても、形見として大事にするのは夜の月影だ。
藻塩くむ袖の月影おのづから よそに明かさぬ須磨の浦人
*藻塩を汲む袖から月影が。製法を漏らさない須磨の浦の人たち。
見るも憂し思ふも苦し数ならで など古を偲びそめけむ
*見れば憂いたくなり、思っても苦しい数々のこと。昔をのことをしのんでいると。
ももしきのとのへを出づる宵々は 待たぬに向かふ山のはの月
*大宮に参内する人びとは、待つでもないのに山にかかる月のよう。
つくづくと明けゆく窓のともし火の 有りやとばかりとふ人もなし
*窓の外がだんだん明けていく、ともし火はあるのかと問う人もなく。
しるや月やどしめそむる老いらくの わが山のはの影やいく夜と
*家でごろごろしているうちに年が重なり年老いた、あとどれくらいワシは生きておるのか、月は知っているのか。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E5%AE%B6
https://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-ymst/yamatouta/sennin/teika.html
コメント
コメントを投稿