寂蓮と承久の乱~アルケーを知りたい(988)

寂蓮は、百人一首87番歌「村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ」の作者。本シリーズの956回に登場した人物。
▼寂蓮は、後鳥羽上皇の歌壇サロンの中心的な歌人。後鳥羽上皇の寂蓮評は「寂連は、なをざりならず歌詠みし物なり。折につけて、きと歌詠み、連歌し、ないし狂歌までも、にはかの事に、故あるやうに詠みし方、真実の堪能と見えき」。
▼寂蓮は1202年に亡くなっている。承久の乱は19年も後の出来事。
▼寂蓮の和歌、繰り返し噛むほど、味がでる。

寂蓮法師 じゃくれん 
1139保延5年 - 1202建仁2年8月9日 63歳。
 平安時代末~鎌倉時代初期の歌人・僧侶・書家。

1150(11) 叔父・藤原俊成の養子。
1167(28) 太皇太后宮亮経盛歌合、1170(31) 左衛門督実国歌合、住吉社歌合に出詠。
1172(33) 出家。諸国行脚の旅。歌道に精進。
1178(39) 別雷社歌合、1179(40) 右大臣兼実歌合に参加。
1185(46) 無題百首、1186(47) 西行勧進の二見浦百首、1187(48) 殷富門院大輔百首、句題百首に参加。1190(51) 花月百首に参加。出雲大社に参詣。東国旅行。
1193(54) 九条良経主催の六百番歌合に参加。
1199(60) 源頼朝が死去。
1201(62) 和歌所寄人。『新古今和歌集』の撰者。
1202(63) 仙洞影供歌合に参加。死去。

寂蓮の和歌と*勝手に解釈
八月十五夜、和歌所歌合に、月多秋友といふことをよみ侍し
高砂の松も昔になりぬべし なほ行末は秋の夜の月
*高砂で松を見たのはもう昔のことになった。これからは秋の夜の月を見よう。

牛の子に踏まるな庭のかたつぶり 角のあるとて身をば頼みそ
*子牛に踏まれないようにしろよ、庭のかたつむり君。角があるからといって無鉄砲はダメだよ。

述懐歌とてよめる
世の中の憂きは今こそうれしけれ 思ひ知らずは厭はましやは
*今になってみると世の中の憂きことは面白かったとも思える。それが分かっていたら出家しただろうか。

さびしさはその色としもなかりけり 槙立つ山の秋の夕暮
*寂しさを感じるのはこれといって決まった景色があるわけではないけど、槙の山の秋の夕暮れは格別だ。

むら雨の露もまだひぬ槙の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮
*にわか雨のあと槙の木の葉の露が乾かないうちに霧が立ち上る秋の夕暮れ時。

老の波こえける身こそあはれなれ 今年も今は末の松山
*寄る年波を超えるわが身こそあわれなれ、だ。今年もそろそろ押し迫ってきた。

月の歌四首。
月はなほもらぬ木の間も住吉の 松をつくして秋風ぞ吹く
*住吉の松に遮られて月の光が届かない。松の木の間を秋風が吹き抜けてゆく。

ひとめ見し野辺のけしきはうら枯れて 露のよすがにやどる月かな
*前に見たときは緑だった野原は季節が変わり枯れてしまった。その枯れた葉の露に月が光っている。

野辺はみな思ひしよりもうら枯れて 雲間にほそき有明の月
*野原にやって来た。思っていた以上に枯れている。雲の間に細く有明の月が見える。

たえだえに里わく月の光かな 時雨をおくる夜はのむら雲
*月の光が里にまだらに指している。夜の空の群雲から時雨が降ってくる。

【似顔絵サロン】






































































〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%82%E8%93%AE
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/jakuren.html#VR

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