俊恵と承久の乱~アルケーを知りたい(989)

俊恵は、百人一首85番歌「夜もすがら もの思ふころは 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり」の作者。本シリーズの954回に登場した人物。
▼俊恵は鴨長明の和歌の師匠。鴨長明は三代目鎌倉殿と面会したことがある。・・・だいぶ承久の乱から離れてきた。承久の乱で括るのは今回の俊恵で終わり。

承久の乱】じょうきゅうのらん。1221承久3年に起きた朝廷・後鳥羽上皇VS鎌倉幕府・北条義時の戦い。結果は、鎌倉幕府の勝ち。後鳥羽上皇は隠岐島配流。武家政権が始まる。

俊恵法師 しゅんえ
1113永久元年 - 1191建久2年 78歳。
 平安時代末期の僧・歌人。父は源俊頼。鴨長明の師。藤原俊成と交流。

1129(16) 父が死去。東大寺で僧になる。
1153-(40-) 自坊「歌林苑」に藤原清輔源頼政・道因(藤原敦頼)らが集まり歌会を行った。
参加した歌合せ:1160(47) 清輔朝臣家歌合、1167(54) 経盛朝臣家歌合、1170(57) 住吉社歌合、1172(59) 広田社歌合、1179(66) 右大臣家歌合。

▼俊恵の和歌と*勝手に解釈
み吉野の山かきくもり雪ふれば 麓の里はうちしぐれつつ
*吉野の山が雪ならば、麓の里は時雨だろう。

雨後月明といへる心をよめる
夕立のまだ晴れやらぬ雲間より おなじ空とも見えぬ月かな
*夕立ちの後、まだ晴れていない雲の間から、月が見える。同じ空のこととは思えない。

今ぞ知る一むらさめの夕立は 月ゆゑ雲のちりあらひけり
*今わかった!さっと降る夕立は、月が雲の塵を洗っているのだ。

かへり見し都の山もへだてきぬ ただ白雲に向かふばかりぞ
*振り返れば見えていた都の山々がとうとう見えなくなった。これからは白雲に向かって歩くばかりだ。

この世にて六十はなれぬ秋の月 死出の山路も面変りすな
*この世で六十年連れ添った秋の月よ、私が死んで山路を歩くときも、同じように照ってくれ。

別の心をよめる
かりそめの別れと今日を思へども いさやまことの旅にもあるらむ
*これはほんの一時の別れと思っても、二度と会えない別れになることだってある。

月の歌
宿さむと岩間の水草はらふ手に やがてむつるる夜半の月かな
久方の天の川辺に雲消えて なぎたる夜半の月を見るかな
筏おろす清滝川にすむ月は 棹にさはらぬ氷なりけり
古郷の板井の清水みくさゐて 月さへすまずなりにけるかな
海辺月といへる心をよめる
ながめやる心のはてぞなかりける 明石の沖にすめる月影
月前述懐を
ながむれば身の憂きことのおぼゆるを 愁へ顔にや月も見るらむ

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%8A%E6%81%B5
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/syune.html#VR
 

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