藤原清輔の父、藤原顕輔の歌~アルケーを知りたい(992)

▼前回は百人一首84番歌の藤原清輔の和歌を見た。今回は、清輔の「親族つながり」から、
清輔の父親・藤原顕輔の和歌を見る。
▼百人一首では顕輔は左京大夫顕輔の名前で79番歌が入っている。

藤原 顕輔 ふじわら の あきすけ
1090寛治4年 - 1155久寿2年6月8日 65歳。
 平安時代後期の公家・歌人。父親は歌道家六条藤家の祖・藤原顕季(あきすえ)。
▼プロフィール
1100(10) 白河上皇付き。
1104(14) 次男・顕輔誕生。
1116(26) 鳥羽殿北面歌合、六条宰相家歌合に参加。
1118(28) 中将雅定家歌合、右兵衛督実行家歌合に参加。父、顕季の顕季家人麿影供』に参加。
1121(31) 内蔵頭長実家歌合。
1128(38) 西宮歌合。
1135(45) 播磨守家成家歌合。
1136-41(46-51) 中納言伊通家歌合。
1137(47) 公卿。
1139(49) 左京大夫。この役職名から百人一首では左京大夫顕輔の名前になっている。
1144(54) 崇徳上皇の命で勅撰集撰進『詞花和歌集』の編集を開始。顕輔に手伝わせるも意見は聞き入れず。
1150(60) 崇徳院の『久安百首』に清輔と共に参加。
1151(61) 『詞花和歌集』を完成、崇徳院に奏覧。
1155(65) 顕輔に歌道師範家六条家を継承。死去。


▼藤原顕輔の和歌と*勝手に解釈
たのむれど心かはりて帰りこば これぞやがての別れなるべき
*今は信頼しているけれど、心変わりして戻ってくるならば、今が永遠の別れになります。※人の心の変わりやすさを歌った。

散る花を惜しむばかりや世の中の 人の心の変はらざるらむ
*散る花を見て惜しむ気持ちは世の中の皆が共通するもののようだ。
※これも人の心を歌ったもの。

たれもみな花の都に散りはてて ひとり時雨るる秋の山里
*知っている人たちは皆、花の都で亡くなってしまった。私は秋の山里で時雨を見ながら独りぼっちだ。

藤原顕輔が月を歌う四首。
難波江の葦間にやどる月みれば わが身ひとつもしづまざりけり
*難波江に生えた葦の水面に月が映っている。この私のように。
※自分を嘆いた歌。

暮の秋月の姿はたらねども 光は空にみちにけるかな
秋の暮れに出る月はよく見えないんだけれど、月光は空に満ちているようだ。

秋の田にいほさすしづの苫をあらみ 月と共にやもり明かすらむ
*秋の田で草を編んだ小屋にいて月と一緒に一晩を過ごすのだ。

秋風に たなびく雲の 絶え間より もれいづる月の 影のさやけさ (百人一首79番歌)
*秋風にたなびく雲の間から漏れてくる月の光のなんと冴えていることか。

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%A1%95%E8%BC%94
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akisuke.html#VR

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