素性の歌~アルケーを知りたい(1040)

素性は百人一首21番歌「いまこむと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな」の作者。
▼素性はよき歌詠みと思う。その理由は21番歌以外にもよき歌をたくさん詠んでいるから。例えば「もみぢ葉のながれてとまる湊には 紅深き浪やたつらむ」からは、色鮮やかな波が動く風景が浮かんでくる。「もみぢ葉は袖にこきいれてもていでなむ 秋は限りと見む人のため」からは、紅葉を見た感動を知人らと共有したいという気持ちが伝わってくる。「秋風に山の木の葉のうつろへば 人のこころもいかがとぞ思ふ」からは自分ではコントロールできない他人の心情の変化を自然の移り変わりと同様に受け入れる心境が伝わってくる。

▼素性 そせい
? - ? ?歳。
 歌人・僧侶。三十六歌仙の一人。遍昭(12番歌)の子。桓武天皇の曾孫。 死去の後、紀貫之(35番歌)凡河内躬恒(29番歌)が追慕の歌を詠む。

▼素性の和歌と*勝手に解釈
花山にて、道俗、酒らたうべける折に
山守は言はば言はなむ高砂の をのへの桜折りてかざさむ
*山の管理人が文句を言うならば言わせておこう。山の上に咲いた桜の枝を折って頭にかざそう。

桜の花の散り侍りけるを見てよみける
花ちらす風のやどりはたれかしる 我にをしへよ行きてうらみむ
*花を散らしてしまう風がどこにいるか知っている人がいたら私に教えてください。そこに行って恨み言を言いますから。

寛平御時きさいの宮の歌合のうた
花の木も今はほりうゑじ春たてば うつろふ色に人ならひけり
*今は花の木を掘り出して植え移すのは止めておきましょう。春が過ぎれば人と同じく花の色も移ろいます。

二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢ流れたるかたを画けりけるを題にてよめる
もみぢ葉のながれてとまる湊には 紅深き浪やたつらむ
*紅葉場が流れて溜まる湊には、赤色深い浪が立つことでしょう。

題しらず
もみぢ葉に道はむもれてあともなし いづくよりかは秋のゆくらむ
*紅葉葉で道が埋もれて分からなくなっている。どこを通って秋は去るのだろう。

望月のこまよりおそく出でつれば たどるたどるぞ山は越えつる
*望月が木の間から出るのが遅く、馬で出発も遅れました。道を辿って山を越えて来ました。

いづくにか世をばいとはむ心こそ 野にも山にもまどふべらなれ
*どこに行けば世を厭う気持ちから解放されるのだろう。野にいても山にいても心が惑う。

北山に僧正遍昭とたけ狩りにまかれりけるによめる
もみぢ葉は袖にこきいれてもていでなむ 秋は限りと見む人のため
*紅葉葉を袖に押し込んで持って帰りましょう。秋が終わったなあと思っている人たちのために。

題しらず
そこひなき淵やはさわぐ山河の あさき瀬にこそあだ浪はたて
*底知れず深い淵は静かです。山川の浅い瀬では無駄に騒々しく波が立っています。

題しらず
秋風に山の木の葉のうつろへば 人のこころもいかがとぞ思ふ
*秋風が吹くと山の木の葉の色も変わります。飽き風が吹くと人の心もどうなんでしょうと思います。

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E6%80%A7
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sosei.html

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