在原行平の歌~アルケーを知りたい(1044)

在原行平は百人一首16番歌「たちわかれいなばの山の峰におふる 待つとし聞かばいま帰りこむ」の作者。この歌はいなくなった飼い猫が帰って来るように祈る歌として重宝されているという。
▼行平が鷹狩りのときに詠んだ「翁さび人なとがめそ狩衣 けふばかりとぞ鶴も鳴くなる」の「翁さび人」という言葉が良い。年甲斐もなく狩り衣なんか着てと思われるのを先取りして自分から詠んだ。鶴の絵をあしらった狩り衣なので、気取らずこういう歌にしてくれると周りも和む。

▼在原行平 / 中納言行平 ありわら の ゆきひら
818(弘仁9)年 - 893(寛平5)年9月6日 75歳。
 平安初期~前期の公卿・歌人。 
 平城天皇の孫。阿保親王の次男。業平の兄。源融(14番歌)と交流。藤原基経と対立。奨学院を創設。

840(22) 仁明天皇の蔵人。855(37) 因幡守。859(41) 播磨守。870(52) 参議。873(55) 参議兼大宰権帥。881(63) 在原氏の学問所、大学別曹奨学院を創設。882(64) 中納言。887(69) 引退。

▼在原行平の和歌と*勝手に解釈
題しらず
立ちわかれいなばの山の峰におふる まつとし聞かば今かへりこむ
*立ち別れ行く因幡の山の峰に生える松、待っていると聞けば、今にも帰ってきましょう。
現代は、飼猫がいなくなったときに帰りを願うおまじないワード。

津の国のすまといふ所に侍りける時、よみ侍りける
旅人は袂すずしくなりにけり 関吹き越ゆる須磨の浦風
*旅人の袂が涼しい感じになる。関を吹き超える須磨の浦風に当たると。

布引の滝見にまかりて
我が世をば今日か明日かと待つかひの なみだの滝といづれ高けむ
*我が世が来るのが今日か明日かと待つこの身。甲斐の涙の滝とどちらが高いだろう。

鷹飼ひにて、狩衣のたもとに鶴の形を縫ひて、書きつけたりける
翁さび人なとがめそ狩衣 けふばかりとぞ鶴も鳴くなる
*爺くさい人が狩衣を、などと咎めないでね。今日だけだからと鶴も鳴いている。

友達の源融が行平に贈った歌:
照る月をまさきの綱によりかけて あかず別るる人をつながむ
*照っている月をマサキで編んだ綱で繋いで引きとどめ、帰ろうとする人をずっと繋ぎ止めよう。

行平の返歌:限りなき思ひの綱のなくはこそ まさきの葛かづらよりもなやまめ
*そんなに限りないほどの思いの綱があるのかなあ。マサキで綱を編むより大変ですよ。

【似顔絵サロン】




















































































〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E5%8E%9F%E8%A1%8C%E5%B9%B3
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yukihira.html

コメント

このブログの人気の投稿

万葉集巻第三417‐419番歌(岩戸破る手力もがも)~アルケーを知りたい(1298)

万葉集巻22番歌(常にもがもな常処女)~アルケーを知りたい(1242)

万葉集巻第二147‐149番歌(天の原振り放け見れば大君の)~アルケーを知りたい(1266)