小野篁の歌~アルケーを知りたい(1049)

小野篁は百人一首11番歌「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよあまのつりぶね」の作者。
▼小野篁は文武両道でガッツがある。11番歌は筋の通らない話に抗議した結果、流罪を被るという面白くない結果になったときの歌。こういう人物のこういう歌が好き。

▼小野 篁 / 参議篁 おの の たかむら
802(延暦21)年 - 853(仁寿2)年2月3日 51歳。
 平安時代初期の公卿、文人。いとこが武人にして歌詠みの小野春風父は小野小町の曾祖父。

815(13)  陸奥守になった父親の岑守みねもり)と陸奥国に同行。弓馬に熱中。嵯峨天皇から「漢詩に優れる岑守の子であるのになぜ弓馬の士になってしまったのか」と嘆かれる。一念発起して学問。
822(20) 文章生試に合格。834(32) 遣唐副使。838(36) 遣唐使でトラブル。隠岐国へ流罪。840(38) 赦免、帰京。841(39) 刑部大輔。845(43) 蔵人頭。847(45) 参議。

▼小野篁の和歌と*勝手に解釈
梅の花に雪のふれるをよめる
花の色は雪にまじりて見えずとも 香をだににほへ人の知るべく
*花の色が雪に混じって見えなくても、香りだけでも匂わせてよ、人が知るように。

隠岐の国に流されける時に、舟にのりて出でたつとて、京なる人のもとにつかはしける
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人にはつげよ海人の釣舟
*大海原の島々に向かって舟で出て行ったと京の人には告げてね、海人の釣り船よ。

隠岐の国に流されて侍りける時によめる
思ひきや鄙のわかれにおとろへて 海人のなはたきいさりせむとは
*思いもしなかったわ、鄙びたところまでやって来て、海人の縄を操って漁をしようとは。

題しらず
しかりとて背かれなくに事しあれば まづ嘆かれぬあな憂世の中
*だからといって世に背を向けることもできない。まず嘆きから始まるのが憂き世の出来事だ。

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%AF%81
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/takamura.html

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