小式部内侍の歌~アルケーを知りたい(1055)
▼小式部内侍は和泉式部の娘。あるとき藤原定額(64番歌)が「お母さんの助けがないと和歌が詠めなくて困るでしょ」とからかった時、小式部内侍がたちどころにこの歌で返してやりこめたという。このエピソードが64番歌の詞書になっている。
▼小式部内侍 こしきぶ の ないし
999長保元年 - 1025万寿2年11月 26歳。
平安時代の歌人。掌侍。父は橘道貞、母は和泉式部(56番歌)。藤原公成の子を出産後、死去。
▼小式部内侍の和歌と*勝手に解釈
題しらず
見てもなほおぼつかなきは春の夜の 霞をわけていづる月かげ
*よく見てもはっきり分からないのは、春の夜に霞の間から出てくる月の姿です。
和泉式部、保昌に具して丹後国に侍りける頃、都に歌合侍りけるに、小式部内侍歌よみにとられて侍りけるを、定頼卿、局のかたに詣で来て、「歌はいかがせさせ給ふ、丹後へ人はつかはしてけんや、使まうで来ずや、いかに心もとなくおぼすらん(お歌作りの調子はいかがです? お母さまのいらっしゃる丹後まで助け小式部内侍はをお求めになりましたか? お母さまの助けがないとさぞ心細いことでしょうな)」など、たはぶれて立ちけるを、引き留めてよめる
大江山いく野の道のとほければ まだふみもみず天の橋立
*母のいる大江山までは道が遠く、途中の天の橋立にも足を伸ばしてませんし返事の手紙も見ておりません。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%BC%8F%E9%83%A8%E5%86%85%E4%BE%8D
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kosikibu.html
コメント
コメントを投稿