山上憶良の万葉集34番歌~アルケーを知りたい(1127)
▼川島皇子は天智天皇の第二皇子。川島皇子が34歳で逝去した後、柿本人麻呂が挽歌を詠んでいる。
紀伊の国に幸す時に、川島皇子の作らす歌 或いは「山上憶良作る」といふ
白松の浜松が枝の手向けくさ 幾代までにか年の経ぬらむ 一には「年は経にけむ」といふ 万34
*白浜の浜松の枝の手向けは、結ばれてからどれくらいの年が経つのでしょうか。
日本紀には「(690年)朱鳥の四年庚寅の秋の九月に、天皇紀伊の国に幸す」といふ。
【似顔絵サロン】憶良(660-733)の同時代人。粟田 真人 あわた の まひと ? - 719 飛鳥時代後期~奈良時代の公卿。702年、遣唐使の総責任者。憶良が同道。708年、大宰帥。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E6%86%B6%E8%89%AF
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/okura2.html
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