柿本人麻呂の万葉集183-193番歌~アルケーを知りたい(1167)

689年に逝去した日並皇子を悲しんで舎人たちが詠った歌23首。以下は23首のうちの後半の11首。184番と189番からはしみじみと悲しさが伝わる。

我が御門千代永久(とことば)に栄えむと 思ひてありし我れし悲しも 万183
*我が御殿は末永く栄えるものと思っていた自分が悲しいです。

東のたぎの御門に侍へど 昨日も今日も召す言もなし 万184
*東のたぎの御門で待機してますが、昨日も今日もお召しの言葉がありません。

水伝ふ磯の浦の岩つつじ 茂く咲く道をまたも見むかも 万185
*水が流れる磯の浦の岩つつじがたくさん咲く道。この道を再び見ることがあるのでしょうか。

一日には千たび参りし東の 大き御門を入りかてぬかも 万186
*一日に何度も参っておりました東の大きな御門に入りかねております。

つれもなき佐田の岡辺に帰り居ば 島の御階に誰か住まはむ 万187
*ゆかりもない佐田の岡辺に帰ってしまえば、この島の館に誰が伺候するのでしょうか。

朝ぐもり日の入り行けばみ立たしの 島に下り居て嘆きつるかも 万188
*朝曇りで日が雲に入っていく。皇子が立っておられた庭に下りて嘆くばかりです。

朝日照る島の御門におほほしく 人音もせねばうら悲しも 万189
*朝日が照る島の御門は重々しい空気が漂い、人の声もしません。悲しいばかりです。

真木柱太き心はありしかど この我が心鎮めかねつも 万190
*真木柱のように太い心を持っているのですが、私の心は鎮まりません。

けころもを時かたまけて出でましし 宇陀の大野は思ほえむかも 万191
*皇子のいつもの服を脱ぎ狩りに出かけられた宇陀の大野を思い出すことでしょう。

朝日照る佐田の岡辺に鳴く鳥の 夜哭きかへらふこの年ころを 万192
*朝日が照る佐田の岡辺で夜を通して鳥く鳥のようにこの一年、嘆き悲しみました。

畑子らが夜昼といはず行く道を 我れはことごと宮道にぞする 万193
 右は日本紀には「三年己丑の夏の四月葵未の朔の乙未に薨ず」といふ。
*農民たちが昼夜通っている道を、我らはみな宮に通う道にしたものです。

【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。藤原 仲麻呂  ふじわら の なかまろ 恵美押勝 706 - 764 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。いざ子どもたはわざなせそ天地の 堅めし国ぞ大和島根は 万4487














〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

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