柿本人麻呂の万葉集194-195番歌~アルケーを知りたい(1168)

▼今回は、柿本人麻呂作の挽歌。天智天皇の息子、川島(河島)皇子が691年に逝去した。川島皇子の妻は天武天皇の娘の泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)。歌の前書きに名前がある忍壁皇子(おさかべのみこ)は、天武天皇の息子で泊瀬部皇女の兄。この挽歌は、人麻呂が夫を亡くした妻とその兄に献上した作品。

 柿本朝臣人麻呂、泊瀬部皇女と忍壁皇子とに献る歌一首 幷せて短歌
飛ぶ鳥 明日香の川の 
上つ瀬に 生ふる玉藻は 
下つ瀬に 流れ触らばふ 
玉藻なす か寄りかく寄り 
靡かひし 夫の命の 
たたなづく 柔肌すらを 
剣大刀 身に添へ寝なば 
ぬばたまの 夜床も荒るらむ<一には「荒れなむ」といふ> 
そこ故に 慰めかねて 
けだしくも 逢ふやと思ひて<一には「君も逢ふやと」といふ> 
玉垂の 越智の大野の 
朝露に 玉裳はひづち 
夕霧に 衣は濡れて 
草枕 旅寝かもする 
逢はぬ君故 万194

 反歌一首
敷栲の袖交へし君玉垂の 越智野過ぎ行くまたも逢はめやも<一には「越智野に過ぎぬ」といふ> 万195
 右は、或本には「河島皇子を越智野に葬りし時に、泊瀬部皇女に献る歌なり」といふ。
日本紀には「朱鳥の五年辛卯の九月己巳の朔の丁丑に、浄大参皇子川島薨ず」といふ。
*仲良く過ごしたあなた様は越智野を通り越した先に逝ってしまいました、再びお逢いできましょうや。

【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。淳仁天皇 じゅんにんてんのう 733 - 765 第47代天皇。天武天皇の皇子・舎人親王の七男。天地を照らす日月のきはみなく あるべきものを何をか思はむ 万4486














〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

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