柿本人麻呂の万葉集199-202番歌~アルケーを知りたい(1170)
▼柿本人麻呂が逝去した高市皇子を詠った『万葉集』の中で最長の挽歌。今回はその前半。
高市皇子は、大海人皇子(後の天武天皇)の息子。672年の壬申の乱で大海人皇子側の中心人物。持統天皇の政権でも中心人物。
▼長歌の前半では高市皇子の戦いぶりを描き「瑞穂の国を太敷きまして 我が大君の天の下 奏したまへば 万代にしかしもあらむ」と生前の活躍を総括している。
高市皇子尊の城上の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷せて短歌
かけまくも ゆゆしきかも<一には「ゆゆしけれども」といふ>
言はまくも あやに畏き
明日香の 真神の原に
ひさかたの 天つ御門を
畏くも 定めたまひて
神さぶと 磐隠ります
やすみしし 我が大君の
きこしめす 背面の国の
真木立つ 不破山越えて
高麗剣(こまつるぎ) 和射見が原の
行宮に 天降りまして
天の下 治めたまひ<一には「掃ひたまひて」といふ>
食す国を 定めたまふと
鶏が鳴く 東の国の
御軍士を 召したまひて
ちはやぶる 人を和せと
奉ろはぬ 国を治めと<一には「掃へと」いふ>
皇子ながら 任したまへば
大御身に 太刀取り佩かし
大御手に 弓取り持たし
御軍士を 率ひたまひ
整ふる 鼓の音は
雷の 声と聞くまで
吹き鳴せる 小角の音も<一には「笛の音は」といふ>
敵見たる 虎か吼ゆると
諸人の おびゆるまでに<一には「聞き惑ふまで」といふ>
ささげたる 旗の靡きは
冬こもり 春さり来れば
野ごとに つきてある火の<一には「冬こもり野焼く火の」といふ>
風の共 靡くがごとく
取り持てる 弓弭の騒き
み雪降る 冬の林に<一には「木綿の林」といふ>
つむじかも い巻き渡ると
思ふまで 聞きの畏く<一には「諸人の 見惑ふまでに」といふ>
引き放つ 矢の繁けく
大雪の 乱れて来れ<一には「霞なす そち寄り来れば」といふ>
まつろはず 立ち向ひしも
露霜の 消なば消ぬべく
行く鳥の 争ふはしに<一には「朝霜の 消なば消と言ふに うつせみにと 争ふはしに」といふ>
渡会の 斎きの宮ゆ
神風に い吹き惑わはし
天雲を 日の目も見せず
常闇に 覆ひたまひて
定めてし 瑞穂の国を
神ながら 太敷きまして
やすみしし 我が大君の
天の下 奏したまへば
万代に しかしもあらむと<一には「かくしもあらむと」といふ>
【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。天武天皇 てんむてんのう / 大海人皇子 622 - 686 第40代天皇。在位:673年3月20日 - 686年10月1日 中大兄皇子の弟。息子が草壁皇子、高市皇子、大津皇子、舎人親王。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html
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