柿本人麻呂の万葉集199-202番歌~アルケーを知りたい(1171)

▼柿本人麻呂が逝去した高市皇子を詠った『万葉集』の中で最長の挽歌の後半。「白栲の麻衣着て」という言葉で逝去がはっきり伝わる。以後は悲しみの表現が続く。長歌の後の短歌2首と反歌1首で総括されている。

 高市皇子尊の城上の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷せて短歌
木綿花の 栄ゆる時に 
我が大君 皇子の御門を<一には「刺す竹の 皇子の御門を」といふ> 
神宮に 装ひまつりて 
使はしし 御門の人も 
白栲の 麻衣着て 
埴安の 御門の原に 
あかねさす 日のことごと 
鹿じもの い匍ひ伏しつつ 
ぬばたまの 夕になれば 
大殿を 振り放け見つつ 
鶉なす い匍ひ廻り 
侍へど 侍ひえねば 
春鳥の さまよひぬれば 
嘆きも いまだ過ぎぬに 
思ひも いまだ尽きねば 
言さへく 百済の原ゆ 
神葬り 葬りいませて 
あさもよし 城上の宮を 
常宮と 高くし奉りて 
神ながら 鎮まりましぬ 
しかれども 我が大君の 
万代と 過ぎむと思へや 
天のごと 振り放け見つつ 
玉たすき 懸けて偲はむ 
畏くあれども 万199

 短歌二首
ひさかたの天知らしぬる君故に 日月も知らず恋ひわたるかも 万200
*天をお治めするわれらの君を、我われは時の経つのを忘れて恋しく偲んでおります。

埴安の池の堤の隠り沼の ゆくへを知らに舎人は惑ふ 万201
*埴安の池の堤で囲まれた沼の水の行く先が分からないのと同じく、舎人たちは戸惑っています。

 或書の反歌一首
哭沢(なきさわ)の神社に御瓶(みわ)据ゑ祈れども 我が大君は高日知らしぬ 万202
 右の一首は、類聚歌林には「檜隈女王、哭沢の神社を怨む歌なり」といふ。
日本紀を案ふるに、曰はく、「十年丙申の秋の七月辛丑の朔の庚戌に、後皇子尊薨ず」といふ。
*哭沢神社にお神酒をお供えして祈りを捧げています。我らが大君は高いところで天をお治めになっておられます。

【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。光仁天皇 こうにんてんのう 709 - 782 第49代天皇。天智天皇の孫。














〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

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