柿本人麻呂の万葉集210-212番歌~アルケーを知りたい(1173)

▼柿本人麻呂が妻を失い、悲しみに暮れて作った歌二首のうちの二首目。
▼長歌の筋は次だ。うつせみと思ひし妹が(この世にずっといるものと思っていた妻が)春の菜の茂きがごとく思へりし(春に葉がよく茂っているように元気な妻が)いなくなった。
昼はうらさびしく、夜はため息をついて明かす。いつも一緒にいた妻の姿が見えないと何をしても「よけくもぞなき」。

 柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟して作る歌二首 幷せて短歌
うつせみと 思ひし時に<一には「うつそみと思ひし」といふ> 
取り持ちて 我がふたり見し 
走出の 堤に立てる 
槻の木の こちごちの枝の 
春の菜の 茂きがごとく 
思へりし 妹にはあれど 
頼めりし 子らにはあれど 
世間を 背きしえねば 
かぎるひの 燃ゆる荒野に 
白栲の 天領巾隠り 
鳥じもの 朝立ちいまして 
入日なす 隠りにしかば 
我が妹が 形見に置ける 
みどり子の 乞ひ泣くごとに 
取り与ふる 物しなければ 
男じもの 脇ばさみ持ち 
我妹子と ふたり我が寝し 
枕付く 妻屋のうちに 
昼はも うらさび暮らし 
夜はも 息づき明かし 
嘆けども 為むすべ知らに 
恋ふれども 逢ふよしをなみ 
大鳥の 羽がひの山に 
我が恋ふる 妹はいますと 
人の言へば 岩根さくみて 
なづみ来し よけくもそなき 
うつせみと 思ひし妹が 
玉かぎる ほのかにだにも 
見えなく思へば 万210

 短歌二首
去年見てし秋の月夜は照らせども 相見し妹はいや年離る 万211
*昨年見た秋の月夜は相変わらずだけれど、一緒に見た妻とは年が離れていくばかりです。

衾道を引手の山に妹を置きて 山道を行けば生けりともなし 万212
*衾道の引手山に妻を置いて山道を行くと、生きる気が失せてしまうようです。

【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。孝徳天皇 こうとくてんのう 596 - 654 第36代天皇。皇極天皇(斉明天皇)の弟。














〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

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