柿本人麻呂の万葉集217-219番歌~アルケーを知りたい(1175)

▼表題に出てくる采女(うねめ)とは、朝廷で、天皇や皇后の身の回りのサービスを担当したお側付きの女官。容姿端麗・聡明などの条件をクリアした女性の役職名。
▼長歌に「時にあらず過ぎにし子」という表現がある。吉備津の死因が自殺だったことを伝える。

 吉備津采女(きびつのうのめ)が死にし時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷せて短歌
秋山の したへる妹
なよ竹の とをよる子らは
いかさまに 思ひ居れか
栲繩の 長き命を
露こそば 夕に立ちて
朝は 失すといへ
梓弓 音聞く我れも
おほに見し こと悔しきを
敷栲の 手枕まきて
剣太刀 身に添へ寝けむ
若草の その夫の子は
寂しみか 思ひて寝らむ
悔しみか 思ひ恋ふらむ
時にあらず 過ぎにし子らが
朝露のごと 夕霧のごと 万217

 短歌二首
楽浪の志賀津の子らが<一には「志賀の津の子が」といふ> 罷り道の川瀬の道を見れば寂しも 万218
*楽浪の志賀津の娘子らがこの世を去っていった道、川瀬の道を見ると寂しくて仕方がない。

そら数ふ大津の子が逢ひし日に おほ見しくは今ぞ悔しき 万219
*大津の娘子と逢った日に、私はそのお姿をぼんやりと見るだけだったことが今になってみると残念だ。

【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。蘇我 蝦夷 そが の えみし 586年 - 645 飛鳥時代の政治家・貴族。蘇我馬子の子。入鹿の父親。乙巳の変で自害。















〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

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