柿本人麻呂の万葉集45-49番歌~アルケーを知りたい(1161)

▼今回の表題に出てくる軽皇子(かるのみこ)は後の天武天皇のこと。若者だった軽皇子が692年の冬に安騎の野で部下を引き連れて狩りを行ったときの歌。
安騎の野は亡き父親も狩りを行うフィールドだったので、参加者全員で古を偲んだ。

 軽皇子、安騎の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌
やすみしし 我が大君 
高照らす 日の御子 
神ながら 神さびせすと 
太敷かす 都を置きて 
こもりくの 泊瀬の山は 
真木立つ 荒山道を 
岩が根 禁樹押しなべ 
坂鳥の 朝越えまして 
玉かぎる 夕さり来れば 
み雪降る 安騎の大野に 
旗すすき 小竹を押しなべ 
草枕 旅宿りせす 
いにしへ思ひて 万45
*われらが軽皇子は都を後にして、泊瀬の荒々しい山道を越え、雪が降る安騎の野に野宿し昔の亡き父草壁皇子のことを偲んでおられます。

 短歌
安騎の野に宿る旅人うち靡き 寐も寝らめやもいにしへ思ふに 万46
*安騎の野でキャンプをしている者たちは皆、昔のことを偲んで誰も寝られない。

ま草刈る荒野にはあれど黄葉の 過ぎにし君が形見とぞ来し 万47
*ここは荒野だが、黄葉のように過ぎ去った草壁皇子の形見として偲ぶためにやって来ました。

東の野にはかぎろひ立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ 万48
*東の野には陽炎が見え、振り返ると傾いた月が見えます。

日並皇子の命の馬並めて み狩立たしし時は来向ふ 万49
*日に並ぶ皇子すなわち草壁皇子が馬を並べ、狩りに向かう時間になりました。

【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。石上 麻呂 いそのかみ の まろ 640 - 717 飛鳥時代~奈良時代の公卿。壬申の乱では最後まで大友皇子(弘文天皇)の側。692年、持統天皇の伊勢国への行幸に随行。我妹子をいざ見の山を高みかも 日本(大和)の見えぬ国遠みかも 万44















〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

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