大伴家持の万葉集3922-3926番歌~アルケーを知りたい(1223)
天平十八年の正月に、白雪多に零り、地に積むこと数寸なり。
時に、左大臣橘(諸兄)卿、大納言藤原豊成朝臣また諸王諸臣たちを率て、太上天皇の御在所<中宮の西院>に参入り、仕へまつりて雪を掃く。
ここに詔を降し、大臣参議幷せて諸王は、大殿の上に侍はしめ、諸卿大夫は、南の細殿に侍はしめて、すなはち酒を賜ひ肆宴(とよのあかり)したまふ。
勅して曰はく、「汝ら諸王卿たち、いささかにこの雪を賦して、おのおのもその歌を奏せ」とのりたまふ。
左大臣橘宿禰、詔に応ふる歌一首
降る雪の白髪までに大君に 仕へまつれば貴くもあるか 万3922
*ここ降る雪のような白髪になるまで大君に使えることができれば貴いことであります。
紀朝臣清人、詔に応ふる歌一首
天の下すでに覆ひて降る雪の 光りを見れば貴くもあるか 万3923
*天の下を覆いつくして降る雪の輝きを見ることができるのは貴いことであります。
紀朝臣男梶、詔に応ふる歌一首
山の峡そことも見えず一昨日も 昨日も今日も雪の降れれば 万3924
*一昨日も昨日も今日も雪が降っていますので、山峡が見えないほどです。
葛井連諸会詔に応ふる歌一首
新しき年の初めに豊の年 しるすとならし雪の降れるは 万3925
*新しい年の初めに雪が降るのは、今年が豊年の印となるでしょう。
大伴宿禰家持、詔に応ふる歌一首
大宮の内にも外にも光るまで 降らす白雪見れど飽かぬかも 万3926
*大宮の内も外も輝くばかりに明るく照らす白雪はいくら見ても飽きません。
藤原豊成朝臣、巨勢奈弖麻呂朝臣、大伴牛養宿禰、藤原仲麻呂朝臣、三原王、智奴王、船王、邑知王、小田王、林王、穂積朝臣老、小田朝臣諸人、小野朝臣綱手、高橋朝臣国足、太朝臣徳太理、高丘連河内、秦忌寸朝元、楢原造東人
右の件の王卿等、詔に応へて歌を作り、次によりて奏す。
その時に記さずして、その歌漏り失せたり。
ただし、秦忌寸朝元は、左大臣橘卿謔れて云はく、「歌を賦するに堪へずは、麝(じゃ)をもちてこれを贖へ」といふ。
これによりて黙してやみぬ。
【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)の同時代人。32歳年上。橘 諸兄 たちばな の もろえ 684 - 757 奈良時代の皇族・公卿。家持と親交があった。万葉集の編纂に関わる人物。聖武天皇の左大臣。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=174
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yakamot2.html
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