万葉集巻7番歌(秋の野のみ草刈り)~アルケーを知りたい(1235)

▼7番は皇極天皇の歌。額田王の代作という。後書きに山上憶良の名前が出てくる。憶良の名前を見るだけでなぜか心落ち着く。皇極天皇は661年に亡くなり、前年の660年に憶良が誕生。
▼秋の野の草を刈って、それを屋根にして仮の廬にした、というから、当時の人はアウトドア生活の達人だったことが分かる。

 明日香の川原の宮に天の下知らしめす天皇の代 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)
  額田王が歌 いまだ詳らかにあらず
秋の野のみ草刈り葺き宿れりし 宇治の宮処の仮廬し思ほゆ 万7
*秋の野で草を刈って屋根を葺いて宿にした宇治の宮の仮廬を思い出します。
 右は、山上憶良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、「一書には『戊申の年に比良の宮に幸すときの大御歌』」といふ。
ただし、紀には「五年の春の正月己卯の朔の辛巳に、天皇紀伊の温湯より至ります。
三月戊寅の朔に、天皇吉野の宮に幸して肆宴したまふ。
庚辰の日に、天皇近江の比良の浦に幸す」といふ。

【似顔絵サロン】蘇我 蝦夷 そが の えみし 586年 - 645年 飛鳥時代の政治家・貴族。父親は蘇我馬子。息子が入鹿。乙巳の変で自害。














〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

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