万葉集巻8‐9番歌(熟田津に船乗りせむ)~アルケーを知りたい(1236)

661年、天豊財重日足姫天皇=斉明天皇(=皇極天皇)の歌として額田王が詠んだ作品。後書きに山上憶良の解説の引用がある。その引用に書いてある年代から、この歌は661年に斉明天皇が道後温泉に静養に訪れたときのものと分かる。熟田津(にきたつ)は松山の道後温泉に行くときの港。移動には舟を使っていたのだ。

 後の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代 天豊財重日足姫天皇、後に後の岡本の宮に即位したまふ
  額田王が歌
熟田津に船乗りせむとて月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 万8
*熟田津で船に乗るため月を待っていました。潮もいい具合になってきました。さあ今漕ぎ出ましょう。

 右は、山上憶良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、「飛鳥の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の元年己丑の、九年丁酉の十二月己巳の朔の壬午に、天皇・大后、伊予の湯の宮に幸す。
後の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の七年辛酉の春の正月丁酉の朔の壬寅に、御舟四つかたに征き、始めて海道に就く。
庚戌に、御船伊予の熟田津の石湯の行宮に泊つ。
天皇、昔日のなほし存れる物を御覧して、その時にたちまちに感愛の情を起したまふ。
この故によりて歌詠を製りて哀傷しびたまふ」といふ。
すなはち、この歌は天皇の御製なり。
ただし、額田王が歌は別に四首あり。

 紀伊の温泉に幸す時に、額田王が作る歌
莫囂円隣之大相七兄爪謁気 我が背子がい立たせりけむ厳橿が本 万9

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〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

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