万葉集巻47‐49番歌(やすみしし我が大君)~アルケーを知りたい(1250)

軽皇子は草壁皇子の息子。軽皇子はのちの文武天皇。草壁皇子は27歳で、文武天皇は24歳で没している。歌にもどこか儚く悲しい雰囲気が感じられる。

 軽皇子、安騎の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌
やすみしし わが大君
高照らす 日の御子
神ながら 神さびせすと
太敷かす 都を置きて
こもりくの 泊瀬の山は
真木立つ 荒山道を
岩が根 禁樹押しなべ
坂鳥の 朝越えまして
玉かぎる 夕さり来れば
み雪降る 安騎の大野に
旗すすき 小竹を押しなべ
草枕 旅宿りせす
いにしへ思ひて 万45

 短歌
安騎の野に宿る旅人うち靡き 寐も寝らめやもいにしへ思ふに 万46
*安騎の野で野宿する旅人はくつろいで寝られるだろうか、いや寝られはしない。昔のことを思うにつけ。

ま草刈る荒野にはあれど黄葉の 過ぎにし君が形見とぞ来し 万47
*草を刈る荒野なのだけれど、黄葉のように過ぎた草壁皇子の形見の場所としてやってきました。

東の野にはかぎろひ立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ 万48
*東の野には曙の光が見えます。振り返ると月が傾いています。

日並皇子の命の馬並めて み狩立たしし時は来向ふ 万49
*日並皇子(草壁皇子)が馬を並べて狩りを始めた、その時間になりました。

【似顔絵サロン】文武天皇 もんむてんのう 683年 - 707年 軽皇子。第42代天皇。父は草壁皇子。祖母が持統天皇。














草壁皇子 くさかべのみこ / 日並皇子 ひなみしのみこ 662年 - 689年 大海人皇子の第二皇子、母は持統天皇。
軽皇子の父親。


















〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

コメント

このブログの人気の投稿

万葉集巻第二147‐149番歌(天の原振り放け見れば大君の)~アルケーを知りたい(1266)

万葉集巻22番歌(常にもがもな常処女)~アルケーを知りたい(1242)

万葉集巻第二143‐144番歌(岩代の崖の松が枝結びけむ人は)~アルケーを知りたい(1264)