万葉集巻50番歌(いそはく見れば神からにあらし)~アルケーを知りたい(1251)

▼今回は宮が遷ったときの歌。690年、持統天皇のミッションを受けた高市皇子が候補地の奈良県橿原市を下見。OKを出したので、そこに藤原宮を造営。694年に持統天皇が奈良県明日香村から遷った。この歌は造営工事の関係者の作品。

 藤原の宮の役民の作る歌
やすみしし 我が大君 
高照らす 日の御子 
荒栲の 藤原が上に 
食す国を 見したまはむと 
みあらかは 高知らさむと 
神ながら 思ほすなへに 
天地も 寄りてあれこそ 
石走る 近江の国の 
衣手の 田上山の 
真木さく 檜のつまでを 
もののふの 八十宇治川に 
玉藻なす 浮かべ流せれ 
そを取ると 騒ぐ御民も 
家忘れ 身もたな知らず 
鴨じもの 水に浮き居て 
我が作る 日の御門に 
知らぬ国 寄し巨勢道より 
我が国は 常世にならむ 
図負へる くすしき亀も 
新代と 泉の川に 
持ち越せる 真木のつまでを
百足らず 筏に作り 
泝すらむ いそはく見れば
神からにあらし 万50
*大君が藤原に都を造営する歌。木材は田上山の檜、運送は筏にして八十宇治川を遡る。民は家も自分のことも忘れて仕事に精を出す。まさに神の仕事です。
 右は、日本紀には「朱鳥の七年癸巳の秋の八月に、藤原の宮地に幸す。
八年甲午の春の正月に、藤原の宮に幸す。
冬の十二月庚戌の朔の乙卯に、藤原の宮に遷る」といふ。

【似顔絵サロン】高市皇子 たけちのみこ 654年 - 696年 天武天皇の皇子(長男)。壬申の乱では近江大津京を脱出して父に合流し、美濃国不破で軍事の全権を委ねられ活躍。















〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

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