万葉集巻第二163‐164番歌(神風の伊勢の国にもあらましを)~アルケーを知りたい(1270)

▼679年の吉野の誓いに参加したときの大津皇子は16歳。草壁皇子(17歳)に次ぐ順位。681年に草壁皇子は皇太子。683年、20歳になった大津皇子は朝廷で政治に参加。686年、9月に天武天皇が崩御、10月に大津皇子は謀反を疑われ自宅で自害。163-164番歌はその直後、大津皇子の姉の大伯皇女が詠った歌。

 藤原宮に天の下知らしめす天皇の代 高天原広野姫天皇、天皇の元年丁亥の十一年に、位を軽皇子に譲り、尊号を太上天皇といふ
 大津皇子の薨ぜし後に、大伯皇女、伊勢の斎宮より京に上る時に作らす歌二首
神風の伊勢の国にもあらましを 何しか来けむ君もあらなくに 万163
*神風が吹く伊勢の国にいたほうが良かったのに、私はここに何しに来たのだろう、弟の皇子はいなくなったというのに。

見まく欲り我がする君もあらなくに 何しか来けむ馬疲るるに 万164
*顔を見たいと思っていた弟の皇子はこの世にいないというのに、私は何をしに来たのだろう、ただ馬が疲れただけというのに。

【似顔絵サロン】大津皇子 おおつのみこ 663年 - 686年 天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。異母兄が草壁皇子。














〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=2

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