万葉集巻第二230‐234番歌(なにしかも もとなとぶらふ)~アルケーを知りたい(1271)

▼万葉集の第二巻は志貴親王の挽歌230‐234番で閉じる。志貴親王は879年の吉野の誓いに参加した6名の皇子のひとり。歌の作者は笠金村。

 霊亀元年歳次乙卯の秋の九月に、志貴親王の薨ぜし時に作る歌一首 幷せて短歌
梓弓 手に取り持ちて 
ますらをの さつ矢手挟み 
立ち向かふ 高円山に 
春野焼く 野火と見るまで 
燃ゆる火を 何かと問へば 
玉桙の 道来る人の 
泣く涙 こさめに降れば 
白栲の 衣ひづちて 
立ち留まり 我れに語らく 
なにしかも もとなとぶらふ 
聞けば 哭のみし泣かゆ 
語れば 心ぞ痛き 
天皇の 神の御子の 
いでましの 手火の光りぞ 
ここだ照りてある 万230
*どうして「何の火か」などとお尋ねになるのですか、私たちは志貴親王がお亡くなりになった悲しみで涙にくれながら松明に火をともしているのです。

 短歌二首
高円の野辺の秋萩いたづらに 吹きか散るらむ見る人なしに 万231
*高円の野の秋萩が風が吹くたびにいたづらに散っている。見る人もないというのに。

御笠山野辺行く道はこきだくも 茂り荒れたるか久にあらなくに 万232
*御笠山の野辺に行く道はなぜこんなに雑草が生えて荒れ果てているのか。志貴親王が亡くなってそれほど年月が経ったわけでもないのに。
 右の歌は、笠朝臣金村が歌集に出づ。

 或る本の歌に曰はく
高円の野辺の秋萩な散りそね 君が形見に見つつ偲はむ 万233
*高円の野辺の秋萩よ、散らないで欲しい。志貴親王の形見として偲びたいから。

御笠山野辺ゆ行く道こきだくも 荒れにけるかも久にあらなくに 万234
*御笠山の野辺の道はこれほどまでに荒れてしまった。志貴親王が亡くなってそれほど年月が経ったわけでもないのに。

【似顔絵サロン】志貴皇子 しきのみこ 668年 - 716年 天智天皇の第7皇子。吉野の盟約に参加。光仁天皇の父親。皇位と無縁の文化人。今日の皇室は、志貴皇子の男系子孫。















〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=2

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