万葉集巻第六920‐922、928‐930、935‐937番歌(皆人の命も我がも)~アルケーを知りたい(1304)
▼今回は、笠金村の短歌付き長歌を三首、ならべた。一つ目は吉野を褒め、人の長寿を願う歌。二つ目は天皇が行幸する場所が都になる、といって難波を褒める歌。最後は、淡路島の海と漁師の姿を讃える歌。
神亀二年乙丑の夏の五月に、吉野の離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首 幷せて短歌
あしひきの み山もさやに
落ちたぎつ 吉野の川の
川の瀬の 清きを見れば
上辺には 千鳥しば鳴く
下辺には かはづ妻呼ぶ
ももしきの 大宮人も
をちこちに 繁にしあれば
見るごとに あやにともしみ
玉葛 絶ゆることなく
万代に かくしもがもと
天地の 神をぞ祈る
畏くあれども 万920
*万代にわたってこのままであって欲しいと天地の神に祈ります。畏れ多いことですけど。
反歌二首
万代に見とも飽かめや み吉野のたぎつ河内の大宮ところ 万921
*万代にわたって人々が見ても飽くことがありません。吉野の激しく川が流れる河内の大宮どころは。
皆人の命も我がもみ吉野の 滝の常盤の常ならぬかも 万922
*人の命も私の命も吉野の滝のように永遠であってほしいものだ。
冬の十月に、難波の宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首 幷せて短歌
おしてる 難波の国は
葦垣の 古りにし里と
人皆の 思ひやすみて
つれもなく ありし間に
続麻なす 長柄の宮に
真木柱 太高敷きて
食す国を 治めたまへば
沖つ鳥 味経の原に
もののふの 八十伴の男は
廬りして 都成したり
旅にはあれども 万928
*難波は田舎とおもっているかも知れない。しかし、大宮のスタッフが宿泊用の廬を組み立てるとそこが都になる。旅の途中なのだけれど。
反歌二首
荒野らに里はあれども大君の 敷きます時は都となりぬ 万929
*いかにも荒れ野っぽい場所だけど、大君がいらっしゃるとそこが都になるのだ。
海人娘子棚なし小舟漕ぎ出らし 旅の宿りに楫の音聞こゆ 万930
*海人娘子たちが棚なしの小舟を漕ぎ出したらしい。旅の宿まで楫の音が聞こえます。
三年丙寅の秋の九月十五日に、播磨の国の印南野に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首 幷せて短歌
名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる
淡路島 松帆の浦に
朝なぎに 玉藻刈りつつ
夕なぎに 藻塩焼きつつ
海人娘子 ありとは聞けど
見に行かむ よしのなければ
ますらをの 心はなしに
たわや女の 思ひたわみて
た廻り 我れはぞ恋ふる
舟楫をなみ 万935
*朝は藻を刈り、夕は塩を焼くという海人娘子を見に行きたいのだけれど、舟がないので、ここで行ったり来たりしながら想像するばかりです。
反歌二首
玉藻刈る海人娘子ども見に行かむ 舟楫もがも波高くとも 万936
*藻を刈っている海人や娘子たちを見に行ける舟があれば良いのに、波が高くても。
行き廻り見とも飽かめや名寸隅の 舟瀬の浜にしきる白波 万937
*名寸隅の船瀬の浜に打ち寄せる白波は、わざわざ出かけて行って眺めても飽きることはありません。
【似顔絵サロン】笠 金村 かさ の かなむら ? - ? 奈良時代の歌人。車持千年・山部赤人と並ぶ歌人。
海人
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6
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