万葉集巻第六948‐949番歌(梅柳過ぐらく惜しみ)~アルケーを知りたい(1305)
▼この歌の背景。宮の若手幹部たちが春日野のフィールドに出て打毬(ポロ)を楽しんだ。宮のスタッフたちも揃って出かけて見物して楽しんだ。ここまでは良い。
▼しかし、この日、たまたま天気が急変し、激しい雨と雷に見舞われた。ところが宮の中にはスタッフが誰もいない。
▼宮の主は「緊急時に動ける者が誰もいない! こんなことで宮の安全管理をどうするんだ」と怒り心頭。それで宮の仕事をほっぽり出してふらふら出かけていたスタッフたちを罰として授刀寮に閉じ込め、一歩も出てはならない、とした。これも分かる。
▼しかし、当事者たちは949番の歌にあるように「なんで宮は大騒ぎしてるの? 外出禁止なんて、むしろオレたちが困るんだけど」と嘆く。いやいや、お前ら違うでしょ、そこでそう嘆くところじゃないでしょ。なぜこうなったのかが分かってなくない? ここが問題。この時の天皇は聖武天皇。ご苦労が絶えなかったことだろうと思ふ。
四年丁卯の春の正月に、諸王・諸臣子等に勅して、授刀寮に散禁せしむる時に作る歌一首 幷せて短歌
ま葛延ふ 春日の山は
うち靡く 春さりゆくと
山峡に 霞たなびき
高円に うぐひす鳴きぬ
もののふの 八十伴の男は
雁がねの 来継ぐこのころ
かく継ぎて 常にありせば
友並めて 遊ばむものを
馬並めて 行かまし里を
待ちかてに 我がせし春を
かけまくも あやに畏く
言はまくも ゆゆしくあらむと
あらかじめ かねて知りせば
千鳥鳴く その佐保川に
岩に生ふる 菅の根採りて
しのふくさ 祓へてましを
行く水に みそきてましを
大君の 命畏み
ももしきの 大宮人の
玉桙の 道にも出でず
恋ふるこのころ 万948
*楽しみにしていたイベントへの参加が全部だめになった。こんなことなら佐保で遊ぶだけじゃなくてトラブル回避のお祓いもしておくのだった。一緒に遊んだ宮仕えのスタッフはみな謹慎処分になり、外に出るのを待ち焦がれるばかりとは。
反歌一首
梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に 遊びしことを宮もとどろに 万949
*梅や柳が見どころの時期だったので、佐保で遊んだだけだったのに、宮中は大変なお怒りようだ。
右は、神亀四年の正月に、数王子と諸臣子等と、春日野に集ひて打毬の楽をなす。
その日たちまちに天陰り、雨ふり雷電す。
この時に、宮の中に侍従と侍衛と無し。
勅して刑罰に行ひ、みな授刀寮に散禁せしめ、妄りて道路に出づること得ざらしむ。
その時に悒憤みし、すなはちこの歌を作る。作者未詳。
【似顔絵サロン】聖武天皇 しょうむてんのう 701年 - 756年 第45代天皇。在位は724年から749年。この歌の年、神亀四年は727年。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6
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