万葉集巻第七1270‐1275番歌(泊瀬の山に照る月は)~アルケーを知りたい(1358)
▼1270の寄物発思(きぶつはつし)とは「景物に寄せて、人生全般に関する感慨を述べた歌(伊藤博訳注『新版 万葉集二』p.153脚注)」。
▼ChatGPTに聞いてみると、具体例を二つあげた後、その心も教えてくれました。
「・秋の紅葉を見て、人の移り変わりや儚さを感じ、それを詩にする。
・花の美しさや散る様子を観察し、人生の喜びと無常を表現する。
「寄物発思」は、物事を単なる存在として見るだけではなく、その中にある深い意味や象徴を感じ取ろうとする態度を反映しています。」
寄物発思
こもりくの泊瀬の山に照る月は 満ち欠けしけり人の常なき 万1270
右の一首は、古歌集に出づ。
*泊瀬山で照る月は満ち欠けして、まるで人の無常と似ています。
行路
遠くありて雲居に見ゆる妹が家 早く至らむ歩め黒駒 万1271
右の一首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。
*遠くの雲の先に見える妻の家。早く着きたいからずんずん進め、黒駒よ。
旋頭歌
太刀の後鞘に入野に葛引く我妹 真袖に着せてむとかも夏草刈るも 万1272
*入野で葛を引っ張っている我が妻よ。袖つきの服を私に着せるため勢いよく夏草を刈っているのかい。
住吉の波豆麻の君が馬乗衣 さひづらふ漢女を据ゑて縫へる衣ぞ 万1273
*住吉にいらっしゃる波豆麻の君が身に着けておられる乗馬服。これはきっと中国語を喋る女に縫製させたものでしょう。
住吉の出見の浜の柴な刈りそね 娘子らが赤裳の裾の濡れて行かむを見む 万1274
*住吉の出見の浜の柴は刈らないでおいてください。娘子らが通る時に赤裳の裾を濡らして行くのを見たいから。
住吉の小田を刈らす子奴かもなき 奴あれど妹がみために私田刈る 万1275
*草刈りのアルバイトはいないのかい? いや、いるんだけど、妻のためだからと思って私が自分の手で私田を刈っているのです。
【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者:村国 志我麻呂 むらくに の しがまろ ? - ? 奈良時代の貴族。村国男依の子。壬申の乱の功臣の子息に賜田が行われた際、男依の子息として名を連ねた。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7
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