万葉集巻第九1675‐1679番歌(紀伊の国の昔弓雄の)~アルケーを知りたい(1408)
▼万葉時代の人が衣手が濡れると表現すると、悲しみの気持ちを表す表現だ、ということがだんだん分かってきた。袖が濡れるまで涙が出るだろうかと疑問に思っていたけど、それほど悲しいという譬喩。いちいち文字通り受け取る無粋な自分、我が衣手は濡れにけるかも。
藤白の御坂を越ゆと白栲の 我が衣手は濡れにけるかも 万1675
*藤白の御坂を越えるというので、悲しくて私の衣の袖が涙で濡れました。
背の山に黄葉常敷く神岳の 山の黄葉は今日か散るらむ 万1676
*背の山はいつも黄葉が散り積もっています。神岳の山の黄葉は今日も散っていることでしょう。
大和には聞こえも行くか大我野の 竹葉刈り敷き廬りせりとは 万1677
*大和にいる人には伝わっているでしょうか。大我野で竹の葉を刈り取って作った廬で野宿する話は。
紀伊の国の昔弓雄の鳴り矢もち 鹿取り靡べし坂の上にぞある 万1678
*紀伊の国で昔、弓雄が鳴り矢を持って敵を掃討したその坂の上にいますよ。
紀伊の国にやまず通はむ妻の杜 妻寄しこせに妻といひながら 一には「妻賜はにも妻といひながら」といふ 万1679
右の一首は、或いは「坂上忌寸人長が作」といふ。
*紀伊の国には止むことなく通いましょう。妻の杜の神様よ、私に妻を連れてきてください。妻という名前がついているからには。
【似顔絵サロン】坂上 人長 さかのうえのひとおさ ? - ? 持統・文武両朝の官人・歌人。文武天皇の紀伊行幸に従駕。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9
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