万葉集巻第九1696‐1700番歌(家人の使にあらし)~アルケーを知りたい(1412)
▼今回の歌も柿本人麻呂歌集からのセレクト。1696から1698は家から離れたところにいる作者と自宅の妻との無言の会話の歌。自宅からの連絡を春雨に喩えてあれこれ呟いた歌。おかしみを感じる。
名木川にして作る歌一首
衣手の名木の川辺を春雨に 我れ立ち濡ると家思ふらむか 万1696
*名木の川辺にいるとき春雨に逢って濡れてしまった。家の者は分かっているだろうか。
家人の使にあらし春雨の 避くれど我れを濡らさく思へば 万1697
*この春雨は、家からの使いじゃないでしょうね。避けても避けても濡れてしまうんだけど。
あぶり干す人もあれやも 家人の春雨すらを間使にする 万1698
*あぶって干してくれる人がいるとでも思っているのでしょうか。家の者は春雨も使いにして私に家に帰れと言っているようだ。
宇治川にして作る歌二首
巨椋の入江響むなり射目人の 伏見が田居に雁渡るらし 万1699
*巨椋の入江から何か音が聞こえます。伏見の田居で雁が渡る音らしい。
秋風に山吹の瀬の鳴るなへに 天雲翔る雁に逢へるかも 万1700
*秋風が山吹の瀬で音を立てて鳴るとき、天を飛び渡る雁と遭遇しました。
【似顔絵サロン】山部 赤人 やまべ の あかひと 700 - 736 奈良時代の宮廷歌人。大伴家持は和歌の学びの道を「山柿之門」と称した。紀貫之は「人麻呂は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麻呂が下に立たむことかたくなむありける」と位置づけた。わが背子に見せむと思ひし梅の花 それとも見えず雪の降れれば 万1426
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=9
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