万葉集巻第十七3890-3893番歌(我が背子を我が松原よ)~アルケーを知りたい(1488)
▼今回から第17巻。大宰帥の大伴旅人が京都へ戻る時、陸路と海路に分かれた。旅人は陸路。傔従(従者)たちは海路をとった。傔従の歌四首。ばらばらなように見えて、船旅の様子が伝わってくる。3890番は海岸で漁師たちが玉藻を刈っている風景のスケッチ。3891番は家が恋しい気持ちの表明、3892番は港で船が混みあっている様子、そして3893番で船の進みに驚く歌。いずれも都に帰る傔従の高揚感が伝わってくる。
天平二年庚午の冬の十一月に、大宰帥大伴卿、大納言を任けらえて<帥を兼ぬること旧のごとし>京に上る時に、傔従等、別に海路を取りて京に入る。ここに羇旅を悲傷しび、おのおのも所心を陳べて作る歌十首
我が背子を我が松原よ見わたせば 海人娘子ども玉藻刈る見ゆ 万3890
右の一首は、三重連石守作る。
*「わが背子を待つ」という松原を見渡すと、漁師と娘子たちが玉藻を刈り取っているのが見えます。
荒津の海潮干潮満ち時はあれど いづれの時か我が恋ひざらむ 万3891
*荒津の海は干潮満潮の時間は決まっていますが、家が恋しくなるのは決まった時がありません。
磯ごとに海人の釣舟泊てにけり 我が船泊てむ磯の知らなくに 万3892
*磯ごとに漁師の釣り舟が停泊しているので、私たちの船を泊める磯がどこか分かりません。
昨日こそ船出はせしか鯨魚取り 比治奇の灘を今日見つるかも 万3893
*昨日船出したばかりと思っていたら、今日は比治奇の灘を眺めているとは。
【似顔絵サロン】三野 石守 みの の いしもり ? - ? 奈良時代の人物。大伴旅人の従者。引き攀ぢて折らば散るべみ梅の花 袖に扱入れつ染まば染むとも 万1644
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17
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