万葉集巻第十七3896-3902番歌(家にてもたゆたふ命)~アルケーを知りたい(1490)
▼大宰府から海路で都に戻る一行の歌の二首。当時の人(役人)にとって、船旅は心細く、大宰府は遠い遠い奥地だったことが分かる。続く七夕の歌、梅花の宴の歌は、詠み手のイメージが一気に飛躍する。作者は家持と弟の書持。
家にてもたゆたふ命波の上に 浮きてし居れば奥か知らずも 万3896
*家にいてもどうなるか分からない命なので、舟にのって波に揺られていると、この先どうなるかまったく分からない気持ちです。
大海の奥かも知らず行く我れを いつ来まさむと問ひし子らはも 万3897
右の九首の作者は、姓名を審らかにせず。
*大きな海の上をどこに進んでいるのか分からない私、いつ家に戻るのかと聞いた妻を思い出します。
十年の七月の七日の夜に、独り天漢を仰ぎて、いささかに懐を述ぶる一首
織女し舟乗りすらしまさ鏡 清き月夜に雲立ちわたる 万3900
右の一首は、大伴宿禰家持作る。
*織女が舟に乗り込んだようです。清らかな月夜に雲が出てきましたから。
大宰の時の梅花に追ひて和ふる新しき歌六首
み冬継ぎ春は来れど梅の花 君にしあらねば招く人もなし 万3901
*冬に続いて春が来ました。お招きするのは梅の花、貴方様をおいて他にはありません。
梅の花み山としみにありともや かくのみ君は見れど飽かにせむ 万3902
*梅の花が山一面に咲いたとしても、(梅の花の)貴方様をいくら見ても見飽きることはありません。
【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)と同時代の人びと:藤原 豊成 ふじわら の とよなり 704 - 766 奈良時代の貴族。長屋王の変を主導した藤原武智麻呂の長男。天性の資質が豊かな人物。逆境のときは「病気」と称して自宅に籠り表立った動きをしなかった。そのうち状況が変わると「病気」も治った。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17
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