万葉集巻第十七3985-3987番歌(渋谿の崎の荒磯に)~アルケーを知りたい(1511)
▼二上山は、富山県高岡市と氷見市にまたがる山。西の城山と併せて二神山と呼ばれていたという。射水川、渋谿は今もある。家持像も建っている。万葉集の歌が1300年継承されている。よき。
二上山の賦一首 この山は射水の郡に有り
射水川 い行き廻れる
玉櫛笥 二上山は
春花の 咲ける盛りに
秋の葉の にほへる時に
出で立ちて 振り放け見れば
神からや そこば貴き
山からや 見が欲しからむ
統め神の 裾廻の山の
渋谿の 崎の荒磯に
朝なぎに 寄する白波
夕なぎに 満ち来る潮の
いや増しに 絶ゆることなく
いにしへゆ 今のをつつに
かくしこそ 見る人ごとに
懸けて偲はめ 万3985
*射水川や二上山は貴いので、絶えることなく昔から今まで見る人が心にかけて思いを寄せるのでしょう。
渋谿の崎の荒磯に寄する波 いやしくしくにいにしへ思ほゆ 万3986
*渋谿の崎の荒磯に寄せる波のように、くりかえし昔のことを思います。
玉櫛笥二上山に鳴く鳥の声の 恋しき時は来にけり 万3987
*二上山で鳴く鳥の声が恋しくなる時が来ました。
【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々:橘 奈良麻呂 たちばな の ならまろ 721 - 757 奈良時代の公卿。藤原仲麻呂への謀反計画が漏れ、逮捕、尋問、獄死。36歳。奥山の真木の葉しのぎ降る雪のふりはますとも地に落ちめやも 万1010 大伴家持(718 - 785)は関与なし、39歳。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17
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