万葉集巻第十七3989-3990番歌(奈呉の海の沖つ白波)~アルケーを知りたい(1512)
▼家持が朝廷(聖武天皇)に越中の財務報告をするために都に行くとき秦忌寸八千島の館で壮行会が行われたときの歌二首。このとき家持39歳。お役人としての仕事をしていたのだ。
大目秦忌寸八千島が館にして、守大伴宿禰家持を餞する宴の歌二首
奈呉の海の沖つ白波しくしくに 思ほえむかも立ち別れなば 万3989
*奈呉の海の沖の白波のように、繰り返して思い出すことでしょう、お別れした後は。
我が背子は玉にもがもな手に巻きて 見つつ行かむを置きて行かば惜し 万3990
右は、守大伴宿禰家持、正税帳をもちて、京師に入らむとす。
よりて、この歌を作り、いささかに相別るる嘆きを陳ぶ。四月の二十日
*貴方様が玉であれば手に巻いていつも見ながら行けるものを。お別れせねばならないのが残念です。
【似顔絵サロン】757年の橘奈良麻呂の乱に関係した人々:藤原 仲麻呂 ふじわら の なかまろ 706 - 764 奈良時代の公卿。橘奈良麻呂の乱を抑え政敵を一掃、翌年、淳仁天皇から恵美押勝の名を与えられた。 天雲の去き還りなむもの故に 思ひそ我がする別れ悲しみ 万4242
秦忌寸八千嶋 はだ の いみき やちしま ? - ? 奈良時代の役人。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17
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