万葉集巻第十七3995-3999番歌(我が背子が国へましなば)~アルケーを知りたい(1515)
▼万葉時代の地方官は、担当地域の会計報告のため都に長期出張していた。家持はその役割を担うため越中から奈良へ出かける。越中勤務の家持は出かける前に仲間に送別会を開いてもらい歌のやり取りをする。場所は池主の家、メンバーは内蔵縄麻呂や石川水通。寂しい気持ちを歌にするとこうなる。それが今回の五首。
四月の二十六日に、掾大伴宿禰池主が館にして、税帳使、守大伴宿禰家持を餞する宴の歌 幷せて古歌四首
玉桙の道に出で立ち別れなば 見ぬ日さまねみ恋しけむかも 一には「見ぬ日久しみ恋しけむかも」といふ 万3995
右の一首は、大伴宿禰家持作る。
*都に行く道に出てお別れすると、お目にかかれない日が続くので恋しくなるでしょう。
我が背子が国へましなばほととぎす 鳴かむ五月は寂しけむかも 万3996
右の一首は、介内蔵忌寸縄麻呂作る。
*貴方様が都にお戻りになると、ホトトギスが鳴く五月は寂しいことになるでしょう。
我れなしとなわび我が背子ほととぎす 鳴かむ五月は玉を貫かさね 万3997
右の一首は、守大伴宿禰家持和ふ。
*私がいないからといって寂しがらないでください。ホトトギスが鳴く五月は薬玉を作って祝ってください。
石川朝臣水通が橘の歌一首
我がやどの花橘を花ごめに 玉にぞ我が貫く待たば苦しみ 万3998
右の一首は、伝誦して主人大伴宿禰池主しか伝ふ。
*我が家の花橘がまだ花咲いている途中でも薬玉にします。お待ちするだけでは辛いですから。
守大伴宿禰家が館にして飲宴する歌一首 四月の二十六日
都辺に立つ日近づく飽くまでに 相見て行かな恋ふる日多けむ 万3999
*都に戻る日になるまでみなさんと顔を合わせておきましょう。恋しく思う日が増えるでしょうから。
【似顔絵サロン】内蔵 縄麻呂 くら の つなまろ ? - ? 奈良時代後期の官人。3996番の作者。
石川 水通 いしかわ の みみち ? - ? 奈良時代の歌人。3998番の作者。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17
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