万葉集巻第十七4006-4007番歌(我が背子は玉にもがもな)~アルケーを知りたい(1518)
▼税帳使として越中から都に報告に行く道中、池主に贈る家持の歌。道中の風景、雲、風、鳥を詠みこんでいる。いつもお互いに顔を見てなんだかんだ話をする気の合う仲間が大事なのだと感じさせる歌。
京に入ることやくやくに近づき、非常撥ひかたくして懐を述ぶる一首 幷せて一絶
かき数ふ 二上山に
神さびて 立てる栂の木
本も枝も 同じときはに
はしきよし 我が背の君を
朝さらず 逢ひて言どひ
夕されば 手携はりて
射水川 清き河内に
出で立ちて 我が立ち見れば
東風の風 いたくし吹けば
港には 白波高み
妻呼ぶと 渚鳥は騒く
葦刈ると 海人の小舟は
入江漕ぐ 楫の音高し
そこをしも あやに羨しみ
偲ひつつ 遊ぶ盛りを
天皇の 食す国なれば
御言持ち 立ち別れなば
後れたる 君はあれども
玉桙の 道行く我れは
白雲の たなびく山を
岩根踏み 越えへなりなば
恋しけく 日の長けむぞ
そこ思へば 心し痛し
ほととぎす 声にあへ貫く
玉にもが 手に巻き持ちて
朝夕に 見つつ行かむを
置きて行かば惜し 万4006
*貴方様がいる土地を離れこれから京に入ろうとするいま、会えないのが辛い。貴方様が玉であれば緒に通して手に巻いて朝も夕も顔を見ながら行けるのに。
我が背子は玉にもがもなほととぎす 声にあへ貫き手に巻きて行かむ 万4007
右は大伴宿禰家持、掾大伴宿禰池主に贈る。 四月の三十日
*貴方様が玉であればホトトギスの声と一緒に糸で通して手に巻いて行けるのに。
【似顔絵サロン】757年の橘奈良麻呂の乱に関係した人々:藤原 乙縄/弟縄 ふじわら の おとただ ? - 781天応元年7月1日 奈良時代の公卿。藤原豊成の三男。橘奈良麻呂の乱で、普段から橘奈良麻呂と親しかったことを理由に、乱に与したとして左遷。7年後に復帰。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=17
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