万葉集巻第十九4248-4250番歌(しなざかる越に五年)~アルケーを知りたい(1586)

▼下に載せている参考本とWikipediaの解説を見ると、家持がこの歌を詠んだのは30歳くらいのとき。4248番と4249番は赴任先の越中で出会った広繩に別れの気持ちを伝える内容。自分に寄り添ってくれた感謝とこれから一緒にやろうと思っていたことができなくなった残念な気持ちを表している。和歌は詠めなくても、こういう気持ちを大事な相手に言葉で伝えるのは大事なことだ、と思ふ。
4250番は、いざ去るとなると惜しい気持ちにもなりますな、と心境を表している。それにしても30歳そこそこ。心象の可視化の名人と思ふ。

 七月の十七日をもちて、少納言に遷任す。
よりて悲別の歌を作り、朝集使掾久米朝臣広繩が館に贈り貽す二首
すでに六載の期に満ち、たちまちに遷替の運に値ふ。
ここに旧きを別るる悽しびは、心中に鬱結ほれ、涙を拭ふ袖は、何をもちてか能く早さむ。
よりて悲歌二首を作り、もちて莫忘の志を遺す。
その詞に曰はく、
あらたまの年の緒長く相見てし その心引き忘らえめやも 万4248
*長い間、お付き合いした間柄です。お心を寄せてくださったお気持ち、どうして忘れることができましょう。

石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて 初鳥猟だにせずや別れむ 万4249
 右は、八月の四日に贈る。
*石瀬野で秋萩を惜しみながら皆で馬を並べて初鳥の猟をしたいと思っていましたが、それもできずお別れになるとは。

 すなはち、大帳使に付き、八月の五日を取りて京師に入らむとす。
これによりて、四日をもちて、国厨の餞を介内蔵伊美吉繩麻呂が館に設けて餞す。
時に大伴宿禰家持が作る歌一首
しなざかる越に五年住み住みて 立ち別れまく惜しき宵かも 万4250
*越中に五年も住んでいたが、お別れするとなると惜しい宵であることよ。

【似顔絵サロン】久米 広縄 くめ の ひろつな ? - ? 奈良時代中期の歌人・官人。越中守・家持のもとで和歌の筆録を行い『万葉集』巻18となった。めづらしき君が来まさば鳴けと言ひし山ほととぎすなにか来鳴かぬ 万4050
















内蔵 縄麻呂 くら の なわまろ/つなまろ ? - ? 奈良時代後期の官人。我が背子が国へましなばほととぎす 鳴かむ五月は寂しけむかも 万3996 / 多祜の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため 万4200
















〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

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