万葉集巻第十九4251-4253番歌(玉桙の道に出で立ち)~アルケーを知りたい(1587)

▼4251番は、5年の越中暮らしを終え、都に帰任することになった家持が送別会で披露した歌。家持は、皆さんの実績を都で報告するからね、と伝える。残る人たちへの行き届いた心配りの言葉と思ふ。
4252番と4253番は、それまでの歌とは別のシチュエーションでのやりとり。当時は、お互いの家を訪ねて話をしていたようだ。今のようにホテルや食事処がある時代じゃないから。来客があるから庭も作りがいがある、というものだ。

 五日の平旦に道に上る。
よりて、国司の次官已下の諸僚皆共に視送る。
時に、射水の郡の大領安努君広島が門前の林中に預め餞饌の宴を設く。
ここに大帳使大伴宿禰家持、内蔵伊美吉繩麻呂が盞を捧ぐる歌に和ふる一首
玉桙の道に出で立ち行く我れは 君が事跡を負ひてし行かむ 万4251
*これから都に行く私はみなさんの業績を背負って行くのです。

 正税帳使、掾久米朝臣広繩、事畢り、任に退る。
たまさかに越前の国の掾大伴宿禰池主が館に遇ひ、よりて共に飲楽す。
時に、久米朝臣広繩、萩の花を見て作る歌一首
君が家に植ゑたる萩の初花を 折りてかざさな旅別るどち 万4252
*貴方様の家に植えている萩の初花をお別れする者みなで折り取ってかざしましょう。

 大伴宿禰家持が和ふる歌一首
立ちて居て待てど待ちかね出でて来し 君にここに逢ひかざしつる萩 万4253
*立ったり座ったり落ち着かずに待ちかねてここまで来て、ようやく貴方様にお目にかかれてかざしている萩です。

【似顔絵サロン】安努 広島 あのの ひろしま ? - ? 奈良時代の官吏。 越中射水郡の大領。















内蔵 縄麻呂 くら の なわまろ/つなまろ ? - ? 奈良時代後期の官人。我が背子が国へましなばほととぎす 鳴かむ五月は寂しけむかも 万3996 / 多祜の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため 万4200
















〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

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