万葉集巻第二十4493番歌(初春の初子の今日の)~アルケーを知りたい(1694)

▼今回は4493番。758年の歌。長めの前書きの最初の文に主語がない。次の文の主語は内相藤原朝臣。だから、こういうことではないか:あえて名前を記さない高貴な方(この年に天皇になる淳仁天皇)が身近なスタッフを集めて小宴を催した。このとき藤原仲麻呂が、歌を作り詩を賦せ、という「勅」を伝える。そこでみなさんが勅に応えた、という話。
奇妙なのは、そのときに奏上された歌はひとつも載ってなくて、4493番は「このときには仕事に追われて奏上できなかった」という断りつきの家持の歌。丁寧な前書き、ほかの人の歌はない、載っているのは奏上しなかった家持の歌・・・。

 二年の春の正月の三日に、侍従、竪子、王臣等を召し、内裏の東の屋の垣下に侍はしめ、すなはち玉箒を賜ひて肆宴したまふ。
時に内相藤原朝臣、勅を奉じ宣りたまはく、「諸王卿等、堪のまにま意のまにまに歌を作り、幷せて詩を賦せ」とのりたまふ。
よりて、詔旨に応へ、おのもおのも心緒を陳べ、歌を作り詩を賦す。
 いまだ諸人の賦したる詩、幷せて作れる歌を得ず
初春の初子の今日の玉箒(たまばはき) 手に取るからに揺らく玉の緒 万4493
 右の一首は、右中弁大伴宿禰家持作る。
ただし、大蔵の政によりて、奏し勘へず。
*初春、初子の今日の玉のようなありがたい箒、手に取るだけで玉の緒からゆらゆらと音が聞こえます。

【似顔絵サロン】藤原 仲麻呂  ふじわら の なかまろ 恵美押勝 706慶雲3年 - 764天平宝字年10月17日 奈良時代の公卿。757年の橘奈良麻呂の乱に勝って力を得、764年の藤原仲麻呂の乱で負けて斬首。天雲の去き還りなむもの故に思ひそ我がする別れ悲しみ 万4242















〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

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